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第二部『第八章 カントの「自由」』

【目次】
第一節 『純粋理性批判』
第二節 『プロレゴーメナ(序説)』
第三節 『人倫の形而上学の基礎づけ』
第四節 『実践理性批判』
第五節 『人倫の形而上学』
第六節 カントの「自由」についての考察


第八章 カントの「自由」
 イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724~1804)は、ドイツの哲学者です。
 カント哲学における自由では、大きく分けて超越論的意味の自由と、実践的意味の自由が論じられています。著作である『純粋理性批判』・『プロレゴーメナ(序説)』・『人倫の形而上学の基礎づけ』・『実践理性批判』・『人倫の形而上学』から、カントの自由について見ていきます。

 

第一節 『純粋理性批判』
 『純粋理性批判』においては、主に超越論的な意味における自由が語られています。
 カントは超越論的という語について、〈対象にではなく、むしろ[その認識様式がア・プリオリに可能であるべきであるかぎりにおいての、対象についての私たちの認識様式に]一般にたずさわるすべての認識〉と定義しています。ア・プリオリとは、経験に先立つ認識・概念のことです。
 カント哲学においては、〈人間的認識の二つの幹、つまり感性と悟性とがあるが、これらのうちの前者によって私たちには対象が与えられるが、しかし後者によって対象が思考される〉とされています。そこでは、〈対象によって触発される仕方によって、表象をうる性能(受容性)は、感性〉であり、〈悟性は総じて判断する能力〉と定義されています。その判断する能力において、〈悟性を規則の能力〉とした上で、〈理性を原理の能力〉と定義しています。
 超越論的意味において、〈生起するものの条件は原因と呼ばれ、また現象における原因の無条件的原因性は自由と呼ばれる〉とあります。そこで自由は、〈自然の諸法則に依存せずに作用する或る能力〉と定義されています。カントは〈生起するものに関しては、自然にしたがう原因性が、あるいは自由からの原因性か、これら二種類の原因性しか考えられえない〉とした考えに立ち、カントの自由が、〈一つの純粋な超越論的理念であって、第一には、この理念は経験からえられたものを何ひとつとして含まず、第二には、この理念の対象はいかなる経験においても規定されて与えられることはありえない〉と述べられています。
 そのため、〈感性的な諸衝動に依存せずに規定されうるような選択意志、したがって、理性によってのみ表象される諸動因によって規定されうるような選択意志は、自由な選択意志(arbitrium brutum)と呼ばれる〉とあります。
 カントの〈超越論的自由〉では、〈理性自身が(諸現象の或る系列を始める理性の原因性に関して)感性界のあらゆる規定的原因に依存しないことを要求〉すると考えられています。

 

第二節 『プロレゴーメナ(序説)』
 『プロレゴーメナ(序説)』においても、超越論的な意味における自由が語られています。〈自由は、出来事としての現象に関して、現象をみずから[自発的に]始める能力でなければならない〉、あるいは、〈自由とは出来事をみずから始める能力である〉と定義されています。

 

第三節 『人倫の形而上学の基礎づけ』
 『人倫の形而上学の基礎づけ』では、〈一つの法則が、道徳的なもの、いいかえれば、責務の根拠とみとめられるもの、たるべきであるならば、必ず絶対的な必然性を帯びねばならないということ〉が語られています。そのため、〈道徳的に善であるといわれるものにあっては、それが法則に合致しているだけでは十分でなく、さらにそれは道徳法則のためにおこなわれるのでなくてはならない〉とされています。そこでカントは、同情心による行為の格率に対して、〈こういう格率には、傾向にもとづいてではなく義務にもとづいてそういう行為を行なうという、道徳的内容が欠けている〉と述べています。
 〈意志の原理〉については、〈行為一般の普遍的法則性〉のみであり、それは〈私がことを行なうに当たっては必ず、私はまた私の格率が普遍的法則となることを意志しうるのでもなければならないということ〉が挙げられています。
 そのためカントの用語法では、仮言的と定言的という区別が立てられます。〈その行為が、単に何か他のもののために手段として善なのであるならば、その命法は仮言的である。その行為が、それ自身において善である、と考えられ、したがって、本性上理性に従うところの意志においてそういう意志の原理として必然的である、と考えられるならば、その命法は定言的である〉とされています。その上で、〈道徳的命法したがって定言的命法はいう、「私は他の何かを欲しなくとも、或る仕方で行為すべきである」と。たとえば仮言的命法は「私が対面を維持しようと欲するなら、私は嘘をつくべきではない」というが、定言的命法は「たとえ嘘が私に不名誉を少しも招かなくとも、私は嘘をつくべきではない」という。それゆえ定言的命法は、あらゆる対象から十分に離れて、対象が意志に全く影響を及ぼさぬようにしなければならない〉と語られています。
 この考え方から、〈その行動を直接に命令するところの、命法が存在する。この命法は定言的である〉とされ、〈この命法は道徳の命法と呼ばれてよいであろう〉と語られています。
 カントは〈道徳の原理〉を、〈同一の法則をあらわす三つの公式〉によって示しています。一つ目は〈定言的命法〉であり、〈「汝の格率が普遍的法則となることを汝が同時にその格率によって意志しうる場合にのみ、その格率に従って行為せよ」〉とあります。二つ目は〈実践的命法〉であり、〈「汝の人格の中にも他のすべての人の人格の中にもある人間性を、汝がいつも同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ用いない、というようなふうに行為せよ」〉とあります。三つ目は、〈すべての人間意志がそれのすべての格率によって普遍的に立法する意志であるという原理〉があります。
 これらの公式は、〈定言的命法の普遍的公式〉であり、〈「同時にそれ自身普遍的法則たりうるような格率によって行為せよ」〉と言い表されています。別の表現では、〈「それ自身を同時に普遍的自然法則と見なしうるような格率に従って行為せよ」〉ともあります。
 この道徳の原理により、〈義務の普遍的命法〉が、〈「汝の行為の格率を汝の意志によって普遍的自然法則とならしめようとするかのように行為せよ」〉と示されています。具体的には、〈自己に対する完全義務〉として自殺の禁止などが、〈他人に対する完全義務〉として嘘の禁止などが、〈自己に対する不完全義務〉として才能を伸ばすことなどが、〈他人に対する不完全義務〉として困っている他人を助けることなどが挙げられています。
 これらを踏まえた上で、〈意志とは、理性的である限りでの生物のもつ原因性の一種である。そして自由とは、この原因性が、それを限定する外的原因から独立にはたらきうるとき、その原因性のもつ特質をいう〉と定義されています。そして、〈自然に対しての理性の理論的使用は、世界の何らかの最高原因のもつ絶対的必然性に達する。自由に関しての理性の実践的使用もまた、絶対的必然性に、ただし理性的存在者そのものの行為の法則の絶対的必然性に達する〉と語られています。

 

第四節 『実践理性批判』
 『実践理性批判』には、〈格律の単なる立法形式だけを自分の従うべき法則たらしめ得るような意志は、取りも直さず自由な意志である〉とあります。そこでは、〈純粋実践理性の根本法則〉が、〈君の意志の格律が、いつでも同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ〉と示されています。〈純粋理性は、それ自体だけで実践的であり、我々が道徳的法則と名づけるような普遍的法則を(人間に)与える〉と考えられています。そこでカントは、〈道徳性の原理の正反対は、自分自身の幸福という原理を意志の規定根拠とする場合である〉と述べています。
 〈自由の概念〉は〈実践的法則の現実的存在〉であり、〈実践的法則は、実践的要請として必然的であるから、自由が必然的なのである〉とあります。〈自由のカテゴリーには、直観の形式(空間および時間)の代りに、実践的な基本的概念として純粋意志の形式が理性において――従ってまた思考能力そのものにおいて与えられたものとしてその根底に置かれているのである〉とあります。
 カントは、〈我々は実践的自由を定義して、――意志は、道徳的法則以外のいかなる法則[自然法則]にもまったくかかわりがない〉と述べています。その上で、〈神の現存を想定することは、道徳的に必然的なのである〉とされ、〈道徳的法則は、[感性にかかわりのない]自由な意志としての人間の意志の自律にもとづいている〉と考えられています。そして、〈自由な意志は、かかる意志の普遍的法則[格律の普遍的立法の形式]に従って、意志が服従すべきもの[道徳的法則]に、同時に一致し得ねばならない〉とも考えられています。

 

第五節 『人倫の形而上学』
 『人倫の形而上学』には、〈選択意志は、それが純粋理性によって規定されうる場合には、自由な意志と呼ばれる〉とあります。〈意志の自由〉については、〈感性的衝動による規定から独立であるということ〉が〈自由の消極的概念〉として定義され、〈積極的概念〉として、〈自分自身だけで実践的でありうるという純粋理性の能力〉が示されており、それは〈各人の行為の格率を、それが普遍的法則になりうるという条件のもとに服させること〉とされています。そのため、〈自由の法則は、自然法則と区別して道徳的(モラーリッシュ)と呼ばれる〉と語られています。
 さらに、〈定言命法を可能にする根拠は、その命法がもっぱら意思の自由にかかわり、それ以外のいかなる他の意思規定[或る意図を意思の基礎におくような]にもかかわらないという点にあるのである〉とされています。〈法則は意志から生じ、格率は意思(選択意思)から生ずる。この意思は、人間においては自由なる意思である〉とあります。つまり、〈ただ意思だけが自由と呼ばれうる〉とカントは述べているのです。ちなみに、〈法則[道徳的=実践的な]とは、一つの定言命法[命令]を含む命題である〉と定義されています。
 他人の自由を考慮する段階においては、〈自由[他人の強要的意思からの独立性]こそは、それが普遍的法則に従ってあらゆる他人の自由と調和しうるものであるかぎりにおいて、この唯一・根源的な、その人間性のゆえに万人誰しもに帰属するところの権利である〉と語られています。〈人間は、何といっても自由な[道徳的]存在者であるから、内的な意志規定[動機]をめざす場合には、義務概念の含む強要は、自己強要[ひとり法則の表象だけによる]でしかありえない〉と考えられているのです。その上で、〈行為者の自由は、すべての他人の自由と、普遍的法則に従って両立することができることである〉と述べられています。
 カント哲学の自由の考え方によると、中庸は間違っているとされています。カントは、〈徳を二つの悪徳の中間に置くという、[アリストテレスの]うけのよい原則は間違っているのである〉と述べています。

 

第六節 カントの「自由」についての考察
 カント哲学においては、意思だけが自由であるとされ、二つの自由概念が提示されています。
 一つ目は、超越論的意味の自由です。超越論的自由は、自然の諸法則に依存せずに出来事をみずから始める能力であり、現象における原因の無条件的原因性のことです。
 二つ目は実践的意味の自由です。実践的自由の消極的概念として、感性的衝動による規定から独立であることが、積極的概念として、自分自身の純粋理性の能力により、行為の格率が普遍的法則になることが示されています。
普遍的法則は道徳的であり、自然法則のように絶対的な必然性を持ち、定言命法を含み、それ自身のために為されなければならないとされています。選択意志が純粋理性によって規定されるとき、意志は、自由な意志であるとカントは言います。なぜなら、意志は理性ある生物の原因性の一つであり、自由は原因性が外的要因から独立に働くときの特質であると考えられているからです。
 以上を考慮し、カントの自由について考えてみます。
 まず、自然法則と意思は区別することができます。ですから、意思は自然法則と一致していない、意思は自然法則に完全に束縛されてはいないという意味で、意思に自由(liberty from)という言葉を冠することは、数多ある世界の観方において、一つの限定された視点における用語法としては成り立ちます。しかし、意思は自然法則などの条件の影響下で働くものであり、外的要因から独立であることはできません。このことは、肉体の状態が精神に及ぼす影響を考えてみると良く分かります。
精神については、条件における判断から、条件を除くと、意志が浮かび上がります。ただし、浮かび上がるものは、浮かぶための何かを必要とします。そのため、そもそも条件がなければ、意志はありえないのです。意志とは、外的要因から独立に働くものではなく、外的要因を判断して決断を下し、状況における徳性を示すものだからです。
 「有ったものを無かったと見なすとき」に浮かび上がるものは、「無かったとき」には浮かび上がれないのです。「有ったものを無かったと見なすとき」と「無かったとき」は、区別する必要があるのです。道徳や法は、歴史や伝統などの条件を含んだ内容によって偉大でありえるのであり、歴史や伝統を離れて、ただ単に善があると思うのは思想的に幼稚です。
 そのため定言命法は、厳密に言えばありえません。世界の豊饒性が、定言命法という安易な解決を許さないのです。提示された定言命法に対して、極めて有効な反論が可能です。ですから、嘘や自殺が必要なときがあるばかりか、嘘や自殺が道徳的であり善であるときがありえるのです。ですから、条件における判断の傾向性があり、それらを統合した中庸が大切なのです。ですから、仮言的な命法内における優劣が重要になるのです。
 そのため、仮言的な命法内において優劣を判断している場合、つまり、この世界でみんなと共に真剣に生きている場合、定言命法を提案することは愚かなことだといわざるをえなくなるのです。


 

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