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第三部『第二章 穢された「自由」』

【目次】
第一節 福沢諭吉の「自由」
第二節 中村正直の「自由」
第三節 津田真道の「自由」
第四節 加藤弘之の「自由」
第五節 板垣退助の「自由」
第六節 伊藤博文の「自由」
第七節 中江兆民の「自由」
第八節 植木枝盛の「自由」
第九節 幸徳秋水の「自由」
第十節 吉野作造の「自由」
第十一節 北一輝の「自由」
第十二節 大杉栄の「自由」


『第二章 穢された「自由」』
 日本語の「自由」が、西洋「自由」の翻訳語として用いられたため、日本語本来の「自由」の意味はほとんど忘れられていきました。自由を声高に叫ぶ論者は、フリーダムやリバティとしての自由を叫ぶのであり、その自由を素晴らしいと称賛するのです。
 まさに、日本語の「自由」は穢されていったのです。その、あまりに無残な光景が、明治以降から、今現在に至るまで続いているのです。
 ただし、西洋自由を、日本本来の自由に転用したとき、元の意味はほとんど忘れられましたが、全く忘れられるわけではありませんでした。西洋自由を称賛する論者の中に、ふいに、かすかに、日本語の自由の意味が表れる場合も、少ないながらも見つけることができます。

 

第一節 福沢諭吉の「自由」
 福沢諭吉(1835~1901)は、啓蒙思想家で教育家です。蘭学を学び、江戸に蘭学塾を、後の慶応義塾を開設しました。その後、独学で英学を勉強し、幕府遣外使節に随行して欧米を視察しました。維新後、教育と啓蒙活動に専念し、明六社を設立しました。
 福沢諭吉の『西洋事情初編』には、〈本文、自主任意、自由の字は、我侭放蕩にて国法をも恐れずとの義には非らず。総て其国に居り人と交て気兼ね遠慮なく自力丈け存分のことをなすべしとの趣意なり。英語に之をフリードム又はリベルチと云ふ。未だ的当の訳字あらず〉とあります。続編である『西洋事情二編』には、〈「リベルチ」とは自由と云ふ義にて、漢人の訳に、自主、自専、自若、自主宰、任意、寛容、従容、等の自を用ひたれども、未だ原語の意義を盡すに足らず〉とあり、その上で、〈自由とは、一身の好むまゝに事を為して窮屈なる思なきを云ふ。古人の語に、一身を自由にして自から守るは、万人具はりたる天性にして、人情に近ければ、家財富貴を保つよりも重きことなりと〉と述べられています。つまり、〈自由とは何ぞや。我心に可なりと思ふ所に従て事を為すを云ふ。其事を為すや、只天地の定理に従て取捨するのみにして、其他何等の事故あるも、分毫も敢て束縛せらるゝこと無く、分毫も敢て屈撓すること無し〉とされているのです。『西洋事情』において福沢が論じている自由は、ブラックストーン(1723~1780)の『イギリス法釈義(1765~1769)』のように自由を歴史と慣習に根を張るイギリス人の自由として捉えるものではなく、ウェーランドの『道徳科学論』(1835)に示される普遍性を持つ自由として捉えられています。
 『学問のすゝめ』では、〈分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり〉とあります。その具体例として、〈譬えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽り放蕩を尽くすもの自由自在なるべきに似たれども、けっして然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず〉と語られています。その上で、〈天理人道に従いて互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス・アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり〉と語られ、〈人の一身も一国も、天の道理に基づきて不羈自由なるものなれば、もしこの一国の自由を妨げんとする者あらば世界万国を敵とするも恐るるに足らず、この一身の自由を妨げんとする者あらば政府の官吏も憚るに足らず〉と語られています。ここで重要な点は、福沢は西洋自由を論じていながら、行為が手本となることを指摘することで、ミルの『自由論』の欠陥を克服している地点に達しているところです。
 『文明論之概略』では、〈我に全勝の勢を得ずして他の所為を許すの場合に至れば、各自家の説を張て文明の一局を働き、遂には合して一と為る可し。是即ち自主自由の生ずる由縁なり〉とあります。これは、ギゾーの『ヨーロッパ文明史(1828)』に基づいたものです。そこにおいて、〈抑も文明の自由は他の自由を費して買ふ可きものに非ず。諸の権義を許し諸の利益を得せしめ、諸の意見を容れ諸の力を逞ふせしめ、彼我平均の間に存するのみ。或は自由は不自由の際に生ずと云ふも可なり〉と語られています。
 『福翁百話』には、〈自由は不自由の間に在りと云う〉とあります。ここでの自由は、〈人々自からこの名誉生命私有の権利を衛るこそ、即ちその人に属する自由なれば、人生の自由と云えば勝手次第に我思う所を行うて妨なきが如くに聞ゆれども、自分の自由を逞うすると同時に他の自由を重んずるに非ざれば、平等の自由は見るべからず。他の自由を重んずるとは自分の勝手自儘を慎しむの義にして、銘々に多少の不自由を忍んで始めて社会全体の自由を得ることゝ知るべし〉と語られています。ここでの自由は、西洋自由というよりは、日本本来の自由について論じられているかのようです。
 福沢は「フリーダム」や「リバティ」としての自由を論じているのですが、そこに日本語の自由の意味が混じっています。福沢の述べる自由について、善いと思われる面は日本の自由の意味であり、悪いと思われる面は西洋の自由の意味になっていると思えるのです。それならば、それらの自由は別物として、個別に論じてほしかったと思わずにはいられません。

 

第二節 中村正直の「自由」
 中村敬太郎[正直・敬宇](1832~1891)は幕末・明治の洋学者で教育家です。明六社の設立に参加し、啓蒙思想の普及につとめました。ミル存命中イギリスに留学し、帰国に際して友人より贈られたミルの『On Liberty』を『自由之理』として明治五年(1872)に訳出しています。
 『自由之理』には、〈英國?ニ歐羅巴諸國ニテ、他邦ノ書ヲ広ク飜譯スル事ヲ務メタリ。コノ書ニ論ズル自由ノ理(又曰自主ノ理)トイフ事ハ、皇國ニテハ、固ヨリ関係ナキ事ナレドモ、歐羅巴諸國ニテハ至要至緊ナルモノト為シテ、常ニ言フ事ナルガ故ニ、コレヲ譯シテオカバ、外國ノ政體ヲ穿鑿スル人ノタメニ、萬一ノ裨補トモナルベシト思ヒ、拙劣ヲカヘリミズ、コレヲ譯シタリ〉とあります。
 ここで注目すべきことは、中村は、イギリスやヨーロッパの自由について、日本には関係がないことだと認識していることです。ただ外国を知るために、西洋の自由を知っておくべきだと考えているのです。この考えは、正確な判断であり妥当です。しかし、この日本には関係ないはずの自由が、以降の日本を浸食していくことになるのです。

 

第三節 津田真道の「自由」
 津田真道(1829~1903)は、明六社に参加した法学者です。
 『学者職分ノ評』には、〈故ニ力ヲ尽シテ人民自由自主ノ説ヲ主張シテ、喩ヘ政府ノ命ト雖無理ナルコトハ之ヲ拒ム権アルコトヲ知ラシメ、自主自由ノ気象ヲ我人民ニ陶鋳スルハ、我輩ノ大ニ望ム所ナリ〉とあります。
 この自由は西洋自由として論じられているのですが、無理か否かを判断した上での自由なので、日本本来の自由の意味も仄見えています。拒むべきときは拒むことを説いているのであり、それ自体は正しいことです。現に、江戸時代の農民は一揆などの手段を用いて、拒むべきときは拒んでいました。しかし、その自由が解放の肯定となったとき、悪用されることは予想できたはずなのです。

 

第四節 加藤弘之の「自由」
 加藤弘之(1836~1916)は、明六社の一員の思想家で教育者です。加藤は、「liberty」の訳語として明治元年に「自主」と「自在」を、明治三年には「不羈」を用いていますが、「自由」が訳語として定着した後は、自由の語を用いています。
 『国体新論(1874)』には、〈近今ノ制度ハ代理者ノ法ヲ立テ総人民ヲシテ直ニ国事ヲ議セシメズ且ツ大小ノ事悉公議ヲ以テ定ムルノ法ニアラザルガ故、人民公事ノ自由権ハ太古ノ如ク大ナラズト雖モ私事ハ大抵本人ノ自由ニ任スルガ故ニ私事ノ自由権ハ太古ノ制度ニ数倍スルニ至レリ、蓋シ近今ノ制度至当ト云フベシ〉とあります。この時点では、西洋自由を肯定的に論じています。
 しかし、『人権新説(1882)』では、〈天賦人権とは、妄想論者の説によるに、すなわち吾人人類が人々個々生まれながらにして固有するところの自由自治の権利と平等均一の権利にして、実に造化の賦与するところに係わるものなれば、この権利は他よりあえて犯すをえず、あえて奪うをえざるものなりという〉とあります。この時点では、社会進化論の立場から、西洋自由に対して否定的に論じています。

 

第五節 板垣退助の「自由」
 板垣退助(1837~1919)は、自由党を結成し自由民権運動を指導した政治家です。板垣退助が監修を行った『自由党史』では、「自由」が高らかに語られています。
 まず[題言]において、〈自由党の主義は一以て之を貫けり、何ぞや、曰く、国家観念によりて調節せられたる個人自由の主義即是なり。抑も人は個人性と社会性との二面を有し、其配合調和によりて甫(はじ)めて一個の完體を為すものにして、其享くる所の自由に於ても、亦た個人自から得る所の自由と、社会団結の力によりて得る所の自由とあり。一は発して遠心力となり、一は約して求心力となる。政治の要は人をしてこの二力抱合の程度を謬らざらしむるに在り〉とあります。この文だけを読めば、この自由は「自(みずか)らに由(よ)る」という意味の日本本来の自由であるかのようです。
 しかし、この自由は、「リバティ」や「フリーダム」としての自由なのです。そのため[第一章 維新改革の精神]では、〈維新の改革は、たゞに元首統治権の回復のみならずして、亦た実に国民自由の回復なりき〉と語られているのです。そのためこの自由は、やはり底が知れています。[第二章 総理外遊の内訌]には、〈明かに知るべし、自由主義は已に大勢を制して、五畿八道悉く其雰囲する所となれるを。政府党の頼んで纔かに城壘とする所は、唯だ武力と金力あるのみ、勢已に此の如し、海内競ふて自由の二字を寶愛し、独り政治社会に之を慣用するのみならず、浴場に自由湯、自由温泉あり、菓子に自由糖あり、薬鋪に自由丸あり、割烹店に自由亭あり、其他自由講釈、自由踊、自由帽子等、挙げて算すべからず。以て民心向背の一斑を証すべし〉とあります。これでは、この自由が中身の無いことを告白しているも同然です。

 

第六節 伊藤博文の「自由」
 伊藤博文(1841~1909)は内閣制度を創設し、初代総理大臣となった政治家です。
 『憲法義解』では、[第二十二条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ移住及移転ノ自由ヲ有ス]において、〈而して憲法に其の自由を制限するは必ず法律に由り、行政処分の外に在ることを掲げたるは、此れを貴重するの意を明にするなり〉とあります。〈自由は秩序在る社会の下に棲息する者なり〉ともあります。この自由は、明確に西欧哲学の自由です。

 

第七節 中江兆民の「自由」
 中江兆民(1847~1901)は、『東洋自由新聞』を創刊した自由民権運動の理論的指導者です。
 『東洋自由新聞』の兆民の論説には、〈自由の主旨には二種類ある。つまり、リベルテ・モラル[すなわち、心神の自由]と、リベルテ・ポリチック[すなわち、行為(政治)の自由]である〉とあります。その詳細は、〈第一のリベルテ・モラルとは、わが精神や思想が、けっして他のものの束縛をうけず、完全に発達しきって、あますところがないのをいうのである〉とあります。また、〈第二のリベルテ・ポリチックは、「行為の自由」であり、人びとがおのずからしようとするもの、また他人とともにするものは、みなこの中に入る。種類をあげよう。すなわち、「一身の自由」、「思想の自由」、「言論の自由」、「集会の自由」、「出版の自由」、「結社の自由」、「民事の自由」、「政治に参加する自由」である〉とあります。
 他にも、〈ことがらによってやり方を規制するのを義といい、事物に応じてその本性を達成するのが自由というものである〉とあります。これは日本の自由の意味に近しいですが、続く意見では西洋自由の意味に近く、〈自由は、もとより干渉をいさぎよしとするものではない。しかし、ことがらによっては、干渉しなければ自由をまっとうできないものもある。こういうものに干渉しなければ、結局、そのことがらに自由をあたえることができなくなるだけでなく、また、自分の自由をまっとうすることもできないばあいもある。だから、干渉してことを処理する。このことを「干渉もまた自由を求める道である」という。ちがうだろうか〉とあります。
 『続一年有半』には、〈われわれが目的を選ぶとき、はたして意思の自由があるとすれば、それは何をするのも自由だというのではなく、平生習ってきたものに決める自由があるというにすぎないのである〉とあります。また、〈意思の自由を軽視し、行為の理由を重用視して、平生の修養を大切にすることが、われわれの過ちを少なくする唯一の手段である〉とあります。西洋のおける自由意思の問題について、日本的な考え方を交えて論じられています。

 

第八節 植木枝盛の「自由」
 植木枝盛(1857~1892)は、自由民権論者です。
 『言論自由ノ論』には、〈自由ニ生長スル所ノ人民ガ国事ヲ論ズルノ自由ヲ得ル、是レ之ヲ真ノ自由ト謂フ也ト〉とあり、西洋の自由について論じられています。例えば、〈言論ノ自由ナルモノハ、吾儕人間ガ相生相養ノ道ヲ為スニ須要ニシテ、智識ヲ開発シ心術ヲ研磨スルニ欠キ難ク、万事ヲ成達スルニ要用ナルベク、言論ノ自由アリテコソ人ノ人タル大徳ヲ全フシ其本分ヲ誤マルコトナキヲ得ベク、人間ニシテ受クルコトヲ得ベキノ幸福ヲ享クベケレ〉とあります。言論の自由により、人は大徳を行い、幸福を受けることができるというのです。

 

第九節 幸徳秋水の「自由」
 幸徳秋水(1871~1911)は中江兆民の門下で社会主義者です。大逆事件で検挙され、主犯として死刑になりました。
 『社会主義神髄』には、〈それは、ただ「自由の王国」である。社会主義は国家の保護・干渉にたよるものではない。少数階級の慈善・恩恵に期待するものではない。その国家は、人類全体の国家である。その政治は、人類全体の政治である。社会主義は、一面において、うたがいもなく、民主主義(デモクラシー)なのである。自治の制度なのである〉とあります。自由の王国・社会主義・民主主義について、根拠に乏しい礼賛がなされています。

 

第十節 吉野作造の「自由」
 吉野作造(1878~1933)は、大正時代の代表的政治思想家です。民本主義を唱えました。
 『憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず』には、〈思想の自由、言論の自由を尊重して、人民をして妨げなく各種の意見に接し、その間に自由の選択、自由の判断をなすことを得せしむることが必要である〉とあります。その詳細については、〈いわゆる「自由」とは、ただに法律上の自由ばかりではない、社会上の自由をも意味する。元来、思想・言論の自由に対する圧迫は、ひとり政府よりのみ来ると思うならば誤りである。しばしばまた民間よりも来るものである。政府の圧迫は比較的これを指摘しこれを防御するに易いが、民間の圧迫は、往々輿論のかたちにおいて発現するがゆえに、これを戒むること、時としてはなはだ困難である〉と述べられています。西洋自由が肯定的に紹介されています。

 

第十一節 北一輝の「自由」
 北一輝(1883~1937)は、国家主義者です。二・二六事件に連座して死刑になっています。『国体論及び純正社会主義』には、次のように意志自由論と意志必致論について、北一輝の独特な論理が展開されています。

 意志自由論は意志の自由とは最も多き内心の必致なりという点において意志必致論と合致し、意志必致論はまた等しく意志の必致とは最も多き内心の自由なりという点において意志自由論と合致す。すなわち、吾人が道徳を行なうは最も多き内心の必致に駆られたるにて、吾人の罪悪を犯すは最も多き内心の自由にしたがいたるなり。人は内心において社会性と個人性とを有す。内心において社会性が最も強盛にして他の個人性を圧して働くときにおいては人はその最も多き社会性の必致に駆られて道徳をなし、社会性はここに自由を観じて意志自由論となる。しかしながら圧伏せられたる個人性はその自由を失うがゆえにこの意味において意志必致論なり。これと同じく、その内心において個人性が最も強盛にして他の社会性を圧して現るる時においては人は最も多き個人性の自由に打ち勝たれて社会性は必致を観じ意志必致論となる。しかしながら打ち勝ちたる個人性はその自由を得たるがゆえにこの意味において意志自由論なり。

 

第十二節 大杉栄の「自由」
 大杉栄(1885~1923)は、社会運動家です。関東大震災直後、憲兵に虐殺されました。
『僕は精神が好きだ』には、〈思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ〉とあります。
 『生の闘争』には、〈よしすでに受け入れているある判断があったところで、さらにみずからの観察と実験とによって、再び判断し正さなければいけない。本当にみずから刻苦して、骨身にまでも徹する、僕ら自身の判断を造り上げてゆかなければいけない〉とあります。その上で、〈この個人的思索の成就があって、はじめてわれわれは自由なる人間となるのだ。いかに自由主義をふり回したところで、その自由主義そのものが他人の判断から借りてきたものであれば、その人はあるいはマルクスの、あるいはクロポトキンの、思想上の奴隷である〉と主張されています。

  

 

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