TOP 概要 自己紹介 論文 小説 日記 本の感想 LINK


  にほんブログ村 人気ブログランキング に参加しています。1日1クリックお願いします!
  にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ         

  

終論『言葉という「自由」』

 私が生まれてから今まで、日本での「自由」は、「フリーダム」や「リバティ」としての「自由」でした。世間では、「フリーダム」や「リバティ」としての「自由」が、素晴らしいものだと語られていました。
 私は、そのことが全く理解できませんでした。なぜ「自由」が素晴らしいのかが分からなかったのです。自由主義者やリベラルを名乗る人の著作を読んでみても、なぜ自由が素晴らしいのか納得できる理由は提示されていませんでした。それどころか、自由を賛美する人の考えは間違っているとさえ思えたのです。
 そのため、日本史における「自由」と西洋史における「自由」を参照し、考察を行いました。その結果、日本本来の自由は、正しい言葉づかいがなされている言葉だということが分かりました。それに対して、西欧哲学の自由は、称賛語としてその根拠が足りていないことが分かりました。そして、現在の日本の自由は、正しい言葉遣いを歪ませる、極めて不適切な言葉となっていることが分かりました。
 かつての日本では、ただ自分自身に基づいているだけの自由は、我侭勝手として非難されてきました。しかし現代では、自分を歴史や伝統から解放し、自分が自身にのみ基づいている自由を称賛する場合すらあるのです。このことは、時代が進むと人間は進歩するということが、間違った考えであるという一つの証拠となっています。
 自由という言葉の考察により分かったことは、言葉という自由は、究極的には、自分にはないということです。言葉を自由に使いこなせるということは、その言葉を可能にした言葉の歴史があるということです。その歴史において、正しい言葉遣いの伝統があるため、私たちは、言葉によって、自由に表現を行うことができるのです。
 そのため、「自由」という言葉についても、正しい言葉づかいを行うべきだと思うのです。それが、言葉という「自由」に繋がると思うからです。 

 

 

 『日本式 正道論』 へ進む
 『日本式 言葉論』 へ進む

  

 第三部『第四章 現在の日本の「自由」』 へ戻る

 『日本式 自由論』の【目次】 へ戻る
 論文一覧 へ戻る

 

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.12


  にほんブログ村 人気ブログランキング に参加しています。1日1クリックお願いします!
  にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ         

  

Access Counter
TOP 概要 自己紹介 論文 小説 日記 本の感想 LINK