第1章 第3節 第1項

 




「桜が咲き始めていますね。」


 上条さんは、隣を歩く僕に話しかける。


「そうですね。」


 僕は、静かに答える。


「この前、日本神話の話をしたとき、サクヤ姫とイワナガ姫の話をしましたね。」


「ええ。」


「イワナガ姫は、岩を暗示し、永遠性を示唆していました。サクヤ姫は、花を暗示し、繁栄とともに儚さを示唆していたと考えることができます。」


「ええ。」


 僕は、相槌(あいづち)を返しながら彼女の語る話に耳を傾ける。


「日本では古来より、花の美しさと儚さを称える文化が育(はぐく)まれてきました。」


「・・・そうですね。」


 彼女は、不意に立ち止まった。僕も歩みを止め、彼女の方を見つめる。


 彼女は、まっすぐに僕を見つめている。ドキドキした。


「佳山くんは、私と話をするのはどうですか?」


 僕は、一瞬だけ思考停止常態に陥る。


「どう・・・とは・・・・・・?」


「私、よく言われるのです。話が難しいとか、よく分からないとか。」


 そう言う彼女は、少し寂しそうに見える。僕は、あわてて言った。


「全然、そんなことないです。僕は、楽しいです。僕も、たまにお前の話は難しくて苦手だとか言われたりしますし。でも、僕は、そういう話とか、この前話した神話とか、そういう話をするのは好きなんで、上条さんと話ができるの、楽しいです。」


 僕の言い方は、かなりしどろもどろで、きちんとした言い方にはなっていなかったけれど、そんな僕の言葉を聞いて彼女は優しく微笑んだ。


「ありがとうございます。」


 彼女はゆっくりとお辞儀をする。


「あっ、いえ、こちらこそ。」


 僕もお辞儀を返す。なんか気恥ずかしい。


「それで・・・、日本の花は美しさと儚さを兼ね備えているという話でしたっけ?」


 僕は、彼女の話の続きを促す。


「そうです。特に、日本の花の中でも、美しさと儚さを代表している花として、やっぱり桜は特別だと思うのですが、どうでしょうか?」


 僕は少し考えてから応える。


「そうですね。桜は、やはり日本を代表する花だと思います。桜の美しさは、特別だと思います。特に、あっという間に咲いて、あっという間に散っていくその一瞬が、その美しさを際立たせるのだと思います。」


 僕は、桜の美しさは、目の前にいる女性に似ていると思った。口には出さなかったけれど。


 僕の応えを聞いて、彼女は嬉しそうに微笑む。


「それでは、今度会うときにでも、桜について熱く語ってもいいですか?」


 彼女は、いたずらっ子のように僕に尋ねる。その仕草があまりにかわいらしくて、僕は返答まで少し時間がかかってしまったけれど、ちゃんと応えた。


「ええ。喜んで。」




 

 

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