『公正考察:公正について』
公正について考えてみます。
公正とは、公(おおやけ)の正しさのことです。公(おおやけ)とは、私(わたくし)と対となる言葉です。
心は、私(わたし)という特異点、すなわち自分において世界に現れます。意識化されていない見つめが、世界における見つめを意識し、その見つめに見つめられることで、見つめていることを意識化します。つまり、自分を我として意識するようになるのです。自分を我として捉えたとき、我と対となる汝が現れます。汝において我が現れ、我において汝が現れるのです。
心と心が触れ合い、心が心と触れ合うのです。
そのとき、我と汝において、私(わたくし)ではない公(おおやけ)が生まれます。そのため我は、私(わたくし)と公(おおやけ)の選択に立つことになるのです。
公は、我と汝において成り立つのですから、我と汝の積み重ねが重要になります。すなわち、歴史によって公がはぐくまれることに気づくのです。それゆえ、公の複数性という問題が生まれます。その複数性という事実において、国という存在が、国家という存在が立ち現れます。国家の複数性において、公の複数性が作用するのです。
思考がここまで来れば、我と国家、この関係が自身に問われることになります。我と国家の関係において、公正が仄かに示されるのです。
公正を考えるということは、このような経路をたどることを意味します。
この道を歩む者よ。あなたが日本人ならば、道はすでに示されています。
すでに示されているという事実、この幸運にどうか感謝を。
この感謝は、日本の先人たちへの感謝です。