『日本式 自由論』
私が生きてきた中で、私は「自由」という言葉に違和感を抱き続けてきました。
「自由」は素晴らしいと言われていたのですが、私にはどうにも納得できなかったので、自分で納得のいくように調べて論じました。
『日本式 自由論』
↓↓↓
『【日本式 自由哲学】日本人なら知っておくべき歴史』と改題し出版されました。
ご購入いただき読んでいただければ嬉しいです。
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> 道理に基づく自由が肯定すべき自由であるというのはよく理解できますが、西洋式の自由と呼んでいるものは自由主義を前提にしていないかという疑問が残ります。
→西洋式の自由は、自由主義を前提というか、自由主義にかなり影響していると思いますよ。
> 具体的に言うと、日本式の自由を前提としたとしても日本で自由主義が発明されたとしたら同じ結果になるのではないかということです。
→同じではないですが、自由「主義」になるなら、似た結果にはなるでしょうね。
> 西洋の自由と日本の自由が根本的に異なるものではない可能性を考えています。
→そもそも語原の意味のレベルで相違があるので、私は異なると考えています。
> 中庸に反する自由は良くないもので、中庸の範囲では自由は良いものであるという解釈ではなぜいけないのかということでもあります。
→いけなくないです。
http://asread.info/archives/2575
などで、以前に私も「自由」と「中庸」に言及しています。
> 中庸に反するものは良くないのは自由に限りません。
> 法律だろうと正義だろうと中庸に反するものは良くないと判断せざるを得ないのではないでしょうか。
> 道理に基づかないでも同じです。道理に基づかない法律や正義を肯定することはできません。
→そうですね。そうだと思います。
> 西洋ならキリスト教に基づかないものは良くないと表現するかもしれませんけどね。
> 日本にはキリスト教は根付いていませんからそういう事情が見えていないだけかと思います。
> キリスト教の呪縛から解放されるための○○主義であり、自由主義はその一つに過ぎないと考えると日本ではその意義を失っているとしても不思議ではありません。
→キリスト教という制限が強い宗教の反動で自由主義が出て来たというのはその通りだと私も思いますよ。
> 結論としては、西洋では勝手放埓が称賛されていると考えるのは間違いで、西洋でも抑止する思想(キリスト教)はあるが過剰なので反発する人が出てくる。
→「自由主義」と「キリスト教などの宗教意識」の組み合わせで安定する可能性はありえるでしょう。「自由主義」だけで考えるとおかしいわけですね。ですから、自由主義者もおかしいわけです。
> 日本では過剰ではない(道理・中庸)ので反発する人は少数派であるというところかと。
→そうですね。そうだと思います。