『続・近代の超克』
大東亜戦争の最中、「近代の超克」という座談会が開かれました。
そこで提起された問題意識について、戦後の知識人は満足に応えてきませんでした。「近代の超克」に対し、否定的な評価を下す論者にいたっては、ありありと愚劣さを晒しているというのが実情です。
「近代の超克」の問題意識を引き継ぐことは、非常に重要なことだと私には思われます。ですから、私なりに勝手に論じることにしました。勝手な一個人による、勝手な引き継ぎ作業、ここに開陳。
≪近代を超克する(ASREAD版) (別バージョン)≫
(1)「近代の超克」の問題意識を受け継ぐ
(2)「近代の超克」論文を検討する[前編]
(3)「近代の超克」論文を検討する[中編]
(4)「近代の超克」論文を検討する[後編]
(5)「近代の超克」座談会を検討する
(6)「近代の終焉」論文を検討する
(7)近代を超克するということ
(8)対デモクラシー[1] ヘロドトスとトゥキュディデス
(9)対デモクラシー[2] プラトンとアリストテレス
(10)対デモクラシー[3] ポリュビオスとキケロ
(11)対デモクラシー[4] マキャヴェリ
(12)対デモクラシー[5] ホッブズとロック
(13)対デモクラシー[6] ルソー
(14)対デモクラシー[7] モンテスキューとバジェット
(15)対デモクラシー[8] バークとトクヴィル
(16)対デモクラシー[9] ミルとデューイ
(17)対デモクラシー[10] デモクラシーを超克する
(18)対リベラリズム[1]西欧の自由
(19)対リベラリズム[2]西欧古代
(20)対リベラリズム[3]キリスト教における自由意志
(21)対リベラリズム[4]ホッブズとロックとルソー
(22)対リベラリズム[5]アダム・スミス
(23)対リベラリズム[6]カントとヘーゲル
(24)対リベラリズム[7]ミル
(25)対リベラリズム[8]フロムとバーリン
(26)対リベラリズム[9]ハイエク
(27)対リベラリズム[10]リベラリズムを超克する
(28)対キャピタリズム[1]マルクス
(29)対キャピタリズム[2]マックス・ウェーバー
(30)対キャピタリズム[3]ケインズとシュンペーター
(31)対キャピタリズム[4]キャピタリズムを超克する
(32)近代を超克した後に
【目次(旧版)】
[序論]
「近代の超克」について
[第一部 「近代の超克」の検討 ]
第一章 亀井勝一郎『現代精神に関する覚書』の検討
第二章 西谷啓治『「近代の超克」私論』の検討
第三章 諸井三郎『吾々の立場から』の検討
第四章 吉満義彦『近代超克の神学的根拠』の検討
第五章 林房雄『勤王の心』の検討
第六章 下村寅太郎『近代の超克の方向』の検討
第七章 津村秀夫『何を破るべきか』の検討
第八章 三好達治『略記』の検討
第九章 菊池正士『科学の超克について』の検討
第十章 中村光夫『「近代」への疑惑』の検討
第十一章 河上徹太郎『「近代の超克」結語』の検討
[第二部 「近代を超克すること」についての考察 ]
第四章 対キャピタリズム(資本主義)
第一節 マルクス検討
第二節 ウェーバー検討
第三節 ケインズ検討
第四節 シュンペーター検討
第五節 高橋是清の検討
[終論]
「近代の超克」後の世界において
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