『公正考察:個人主義について』
個人主義について考えてみます。
第一節 トックヴィルの個人主義
個人主義という言葉は、フランス人のトックヴィル(Charles Alexis Henri Clrel de Tocqueville, 1805~1859)が、著作である『アメリカのデモクラシー(第二巻)』で論じています。
トックヴィルは、〈個人主義は新しい思想が生んだ最近のことばである。われわれの父祖は利己主義しか知らなかった〉と述べています。利己主義については、〈利己主義は自分自身に対する激しい、行き過ぎた愛であり、これに動かされると、人は何事も自己本位に考え、何を措いても自分の利益を優先させる〉とあります。個人主義については、〈個人主義は思慮ある静かな感情であるが、市民を同胞全体から孤立させ、家族と友人と共に片隅に閉じこもる気にさせる。その結果、自分だけの小さな社会をつくって、ともすれば大きな社会のことを忘れてしまう〉とあります。
利己主義と個人主義の相違については、〈利己主義はある盲目の本能から生まれ、個人主義は歪んだ感情というより、間違った判断から出るものである。その源は心の悪徳に劣らず知性の欠陥にある〉とあります。続いて、〈利己主義はあらゆる徳の芽を摘むが、個人主義は初めは公共の徳の源泉を涸らすだけである。だが、長い間には、他のすべての徳を攻撃、破壊し、結局のところ利己主義に帰着する〉と語られています。
トックヴィルは、〈利己主義は世界と共に古い悪徳である。ある形の社会の中に多くあって、他の社会には少ないというものではない〉と考え、〈個人主義は民主的起原のものであり、境遇の平等が進むにつれて大きくなる恐れがある〉と論じています。
第二節 個人主義の考察
トックヴィルは、個人主義と利己主義を区別して用いています。利己主義は盲目の本能から生まれる自分を第一とする立場であり、個人主義は間違った判断から出る自分の周りの小さな社会を第一とする立場です。利己主義も個人主義も、共に知性の欠陥だとされています。個人主義は短期的には公共の徳を涸らし、長期的には利己主義となり、あらゆる徳の芽を摘むことになると考えられています。
これらのトックヴィルの個人主義についての見解を妥当だと見なすなら、個人主義は愚かな立場であり、排除すべきものになります。
ちなみに、社会のある領域を個人に任せるか否かは、中庸の問題です。個人に任せるという判断を下すとき、その基準は中庸の考え方から導くべきであり、個人主義から導くのは間違っています。