レイモンド・スマリヤンの『哲学ファンタジー』で哲学する。
レイモンド・スマリヤンは明晰かつ緻密に議論を進めていくため、その著作である『哲学ファンタジー』は哲学的に深いものになっています。
『哲学ファンタジー』の記述で気になった箇所について、私なりに哲学してみようと思います。
●「あなたはなぜ正直なのか」について
ます、第1章の「あなたはなぜ正直なのか」について論じてみます。本章では、何人かのメンバーが入り乱れて、正直について語り合っています。
その中で、ダニエルという人物が次のように語っています。
カントの定言的命令によれば、人は、自分の行動が普遍的な法であることを望まなければ、どんな行動も行うべきではないのです。もしすべての人が嘘をついたならば、世界が完全な無秩序になることは明らかです。したがって、私は、人が嘘をつくことを普遍的な法として望むことはできません。ゆえに、定言的命令は、私も嘘をつくべきでないという義務を課すわけです。
ダニエルは、定言的命令を十分に理解していないように思われます。
定言的命令とは、無条件に適用されるべき命令のことです。ですから、世界が無秩序になるなどという理由を持ち出してはいけないのです。そのような理由を持ち出す命令は、仮言的命令と呼ばれます。カントの定言的命令は、例えば世界が無秩序になったとしても、無条件に適用されなければならないのです。
例えば嘘を付けば大勢が助かり、正直に話せば大量殺戮が起きてしまうような場合だとしても、カントの定言的命令を採用するなら、正直に話さなければならないのです。
つまり、カントのような人間の皮を被った悪魔(もしくは天使)でない限りは、つまりは普通の人間は、カントの定言的命令を根拠に持ち出してはならないのです。
●「生と死の禅」について
第9章の「生と死の禅」において、スマリヤンは夢の問題について自身の考え方を述べています。
夢を見ている人間が、その夢のなかで、自分が夢を見ている確率をどのようにして知ることができるのだろうか? 私には、そのような方法はまるでないように思われる。この問題について、私は、次のように信じている。
(1) 私が夢の世界にいることは、論理的に可能である。
(2) 現実には、私は、夢の世界にはいない。
(3) そのように推論する証拠は何ももっていないが、とにかく私はそれを信じている。
(4) この信念について、確率はまったく無関係である。
この考え方は非常に面白いと思います。スマリヤンに敬意を表し、私も夢の問題について自身の見解を述べてみようと思います。
(1) 私は、論理的に無限に存在する夢の世界のどこかにいる。
(2) 私が、今、存在している夢の世界が現実と呼ばれる。
(3) 私は、ある夢の世界から、別の夢の世界へと移動することが論理的に可能である。その方法は、夢から覚めることと夢の世界へ入ることの二通りである。ただし、究極的にはその区別を付けることはできない。
(4) 私が存在している現実がどの夢の世界であるかについて、確率はまったく無関係である。
※ 私が明晰夢を見ている場合、私が把握している現実と夢の両世界について、二つの世界と見なすことも、一つの世界と見なすことも、どちらも可能である。
※ ちなみに、私は明晰夢を見たことはありません。
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