上遠野浩平の『私と悪魔の100の問答』で哲学する

 

  本書は、悪魔の質問というか会話に変な女子高生が応えていく話です。上遠野浩平の他作品を読んでいると、あの人物やあの組織が出て来ていることに気づきますが、それらは本書の本質には関係ないので知らなくてもまったく問題ないです。
 問題は、やはり悪魔の出す100の質問です。質問の内容はバラエティに富んでいて、哲学系や社会学系や心理学系など多岐に渡っています。しかも、質問のジャンルがバラバラな順序で、会話形式でポンポンと飛び出て来るのです。そのレベルも、けっこうな高水準だと思われます。

 

 ここには神も悪魔もいない。救済もなければ堕落もない。あるのはただ、百の問いだけだ。これはそのための物語でもある。ただ――百の答えがあるのかどうか、残念ながらそれは保障の限りではない。

 

 とある哲学者の影響があるのかもしれませんが、私は、問いと答えは一対一の関係にはないのかもしれない、と思うようになっています。その理由はいくつかありますが、一つだけ言うと、問いには原理的に答えが付随するものと、そうではないものがあると思われるからです。
 本書で提示されている100の質問のうち、興味を惹かれた質問を10という数に絞って、私なりに哲学してみようと思います。

 


【Q01 青空と聞いて連想することは?】
 水色の色鉛筆。
 幼い頃によく絵を描きました。そのとき、水色の色鉛筆で青空を表現していました。「青空」という言葉なのに、青色の色鉛筆ではなく、水色の色鉛筆を使っていました。それは、信号の青を表現するのに、緑色の色鉛筆を用いるようなもので。
 つまり、言葉の対応関係によって色鉛筆の選択を決定していたのではなく、色そのもの(色のクオリア)の類推によって選択を決定していたということです。青空という名の水色。何か、詩的な感じのする表現ですね。
 クオリアという質感と言葉のズレ。そのズレが、ズレていない状態とは違った意味を産み出すのです。青空という名の水色。そのズレによって、世界は意味を産み出すのです。

 


【Q25 何を頑張ればいいのか】
 まず、何を頑張れば良いのかを問うことを頑張るべきなのです。
 そのために、思想や哲学という営みが必要になります。
 その後は、頑張るべきことを頑張るだけです。もちろん問い直しは常に必要ですが。
 その後は、頑張れたか否かが、社会学的な観点や実存的な立場から、個人に重くのしかかることになるのです。

 


【Q30 やる気とは、結局なんなのか】
 世界で最も確実だと思われる仮説の一つ。
 束縛されていないことを意味する非常にくだらない用語としての「自由」ではなく、自分の理由という意味での「自由」という用語に関わるもの。端的に、この世界の神秘に関わってしまいます。
 具体的に論じるのなら、自分の理由の否定の否定によって導かれる存在理由。一つ目の否定は因果律の乱用によって、二つ目の否定は心理学の乱用によって可能になります。

 


【Q31 自覚することに深い意味はあるか】
 あります。
 しかし、その肯定的な答えは、自覚した者の一部にしか為され得ないため、普遍性を持ちえません。分かりやすくするため大仰な例を述べるなら、オリンピックで金メダルを取った者が、努力すれば夢は必ず叶うと言ったときのような不健全性が漂うのです。
 さらに、まずいことに、自覚するということには不可逆性があります。つまり、一度自覚してしまうと、容易には自覚していなかった状態には戻れません。一種のテクニックとして、その不可逆性ゆえに自覚することは善いことだと思い込むという心理学的な防衛反応があります。しかし、そのテクニックを様々な意味で使いこなせない者もいて、主に社会学的な領域での問題を複雑にしてしまいます。
 ただし、一部の特殊な人間、例えば私のような人間は、自覚することの重要性を他人にも説くでしょう。それは危険なことであり、それゆえ、その危険性を察知する者は、その危険な人物から距離を取ることになるでしょう。

 


【Q35 目的のための手段は目的たりうるか】
 たりうることもありえます。
 一つだけ言うなら、短期的目的を達成するための手段が長期的な目的に至ることがありえるのです。

 


【Q36 人間は何からできているか】
 「人間」の意味するところによって、その答えは違ったものとなります。そのため、本書の会話を参照してみます。

 

「人間は何からできていると思うか、という質問だが?」
「何から、って――」
「おっと、タンパク質と水分とか揚げ足を取るなよ。もちろんこれは抽象的な意味で、だ。人間は何からできている? 夢と希望か? 愛と真実か? それとも怒りと憎しみか? 女の子はみんなふわふわした甘いモノでできている妖精の類なのか?」

 

 ここでの「人間」の意味を、ハイデッガーのいう現存在の同類型として考えてみます。つまり、他の惑星の知的生命体を含むような広範な意味として「人間」を定義している場合、答えは次のようになります。
 人間は世界からできています。そして、世界は人間からできています。
 この包含関係の対構造は、世界の神秘なのです。

 


【Q37 他人に対する敵意の源はなにか】
 他人ゆえの分からなさ。
 この「他人に対する敵意の源はなにか」という問いの立て方は、あまり良くないと思われます。まずは、「敵意の源はなにか」と問うべきだと思います。その答えの一つは、「分からなさ」だと言えます。そこには、自分自身への分からなささえもが含まれます。
 しかし、「他人に対する敵意の源はなにか」という問いでは、その答えは自分と他人の差異に基づく分からなさへと単純化されてしまいます。

 


【Q52 歴史上でもっとも流行したものは】
 この問いについては、本書で見事な答えが提示されています。また、悪魔と変な女子高生の会話から、考えてみるべき論点を挙げることができそうです。女子高生は、〈だから流行ってのは、すぐに飽きられて消えちゃうようなもので〉と述べています。
 確かに、流行と飽きというのは無視できない相関関係があるように思えます。そうだとしたら、"それ"は、ずっと続く流行であり続けたというより、飽きられることによって、ずっと続く流行になった、ということになるのではないでしょうか?
 つまり、ここには、一種の堕落が生じているのかもしれないのです。

 


【Q66 神は悪魔と本当に戦っているのか】
 この問いも、本書内で面白い議論が展開されています。その議論に蛇足を付け加えるなら、神は悪魔と本当に戦っているのです。ただ、悪魔を殲滅させることを先延ばし続けているのです。神は、悪魔と戦っているという事実を常に示し続けなければならないため、悪魔の殲滅という約束を、永遠に遅延し続けるしかないのです。
 そういった意味で、神は悪魔と「本当に」戦っているのです。

 

 

【Q85 矛盾はどこまで矛盾か】
 設定された論理空間のルールに違反したものが矛盾と呼ばれます。
 ある論理空間での矛盾は、他の論理空間では矛盾でないことがありえます。
 そうであるならば、どの論理空間を設定するかという判断レベルにおいて、(意識的か無意識的かに関わらず)何を矛盾として思考可能性から排除するかという操作が為されているのです。

 

 

 

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