『ある少年の述懐』
僕は、世の中に「子供」と「大人」という言葉があることを知っていた。だって、みんなが「子供」や「大人」という言葉を使っていたからだ。
だから僕は、「大人」と「子供」が違うものだと思っていた。
僕は、「子供」は不完全で、「大人」は完全なんだと思っていた。だって、そうじゃないか? 子供は大人から、あれをしちゃいけないとか、これをしないさいとかいろいろと言われるんだ。大人は子供へ、あれをしちゃいけないとか、これをしなさいとか言うんだ。
「大人」が完全な人間で、「子供」が不完全な人間なのだとしたら、これはもっともなことじゃないか? そうだろう?
でも、違ったんだ。「大人」は完全じゃなかった。本当に、まったく、決定的に、「大人」は完全じゃなかった・・・。
はじめは僕が不完全だから、大人の言うことが理解できないのかと思った。でも、大人は、前に言ったときと違うことを言うんだ。もちろん、前は前に言ったことが正しくて、今は今言ったことが正しいってことも考えられるよ。だから僕は、なんで前に言ったときと違うことを言うのか大人に聞いてみたんだ。そうすると、大人は怒りだすんだ。それで、分かった。
何が分かったかって?
一つ目、記憶力は大人よりも子供の方が優れていること。
二つ目、大人はそのときどきで、自分の都合の良い言葉を吐くということ。
三つ目、大人は完全ではないということ。
だから僕は、僕が大人になっても、決して「子供」を子供扱いしないと決めた。
もちろん、知識の差は考慮しなきゃいけないよ。でもそれは、大人同士でも言えることでしかないよね? 何らかの話をするとき、相手がその分野についてどの程度の知識を備えているかを判断して、話す内容を調整するのはまった当たり前のことだ。その上で、何が大切なことなのかを真剣に考えることが大事なんだ。
その大事なことにおいて、子供とか大人とかは、割とどうでもいい問題なんだよ。
僕は、こう考えている。
「子供」は大人が思っているほど子供ではなく、
「大人」は子供が思っているほど大人なんかじゃない。
どうだい? 合っているかな?
※ 本論文は、私が子供の頃に漠然と思っていたことを、大人になった私が論理的な肉付けをほどこしてまとめたものです。ぶっちゃけ、こんなようなことを考えている子供って、大人からは疎まれますよね(笑)
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