『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(新潮社)』増田俊成

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 これは柔道を愛する著者が、たくさんの人達の協力のもと、真摯(しんし)な男たちと女たちを描いた真摯な物語です。
 誇張でも何でもなく、格闘技にまつわるよくできた名作の域を超えて、歴史的傑作とまで呼べる作品です。格闘技や武道に少しでも興味のある人は、是非とも読んでみてください。間違いなく、読む価値のある本です。
 p.306に、〈だから、ここまで読んできた読者も牛島支持派と木村支持派に分かれるのではないか。〉とあります。私は完全に牛島支持派です。ですから、木村政彦の人間性よりも、牛島辰熊や阿部謙四郎や大山倍達の思想に共感します。読む人によっては、思想よりも木村の人間性に惹かれる人も多くいるでしょう。その違いの妙味を味わうだけでも、この上ない贅沢です。
 p.310に、〈さらに東条英機首相暗殺まで企てた誇り高き最後のサムライ牛島には断じて墜ちることなどできなかったのである。〉とあり、〈この牛島に対する裏切り行為で、その後の木村の人生には墜ちるという選択肢しかなくなった。〉とあります。坂口安吾の『堕落論』をベースにしたこの語りにより、物語の深みは増していきます。
 しかし、『堕落論』には、〈だが、人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう。(中略)人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。(中略)墜ちる道を墜ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない〉ともあるのです。木村は、墜ちた先で、自分自身を発見し、救わなければならなかったのです。それができたのか否かは、実際に本書を読んで各自で判断してください。私には、木村は自分自身を救い、それ故に、木村を愛した人達をも救えたのだろうと思えました。
 最後に、牛島支持派として新潮文庫『堕落論』内の「特攻隊に捧ぐ」をお勧めしておきます。そして、それ故に、それにも関わらず、木村には思想がなかったのではなく、木村にも木村なりの思想があったのだと思うのです。

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