2013年8月アーカイブ

 レイモンド・スマリヤンの『哲学ファンタジー』について、気になったところを論じてみました。

 『哲学ごっこ』『レイモンド・スマリヤンの『哲学ファンタジー』で哲学する。』を参照ください。

 二つの論点について語っています。

 一つ目は、初級編ですね。

 二つ目は、我ながらうまく表現できたと思います。数学者が、シンプルにして整然とした数式を見て美しいと思うように、哲学的にシンプルで整然とした論理なので、勝手に美しいとか思ってしまいました。
 そんなことをまったく思わない人が大多数でしょうが、分からない方はスルーしてください。こういった哲学的な問題は、分かる人が語り合えば良いのです。
 興味があるけど、良く分からないという人は、コメントやメールなどいただければ、できる範囲で回答します。
 参考になる考え方は、『荘子』の「胡蝶の夢(こちょうのゆめ)」ですかね。

 

 私は、西部邁の『虚無の構造』を単行本で3回は読みました。文庫本でも、改めて読み返してみました。
 私は本を読んでいるとき、私が重要だと思う箇所に線を引いていくのですが、単行本と文庫本では線を引いた箇所がまったく異なっていました。他の本では、このようなことはあまり起こらないので面白かったです。
 では、なぜ本書では単行本と文庫本で違いが出たのか?
 単行本を読んだ当時の私は学生でしたが、ニヒリズムに対する理解が十分ではなかったため、線を引いた箇所は主に社会学の用語やその説明部分でした。それに対し、文庫本では社会学の用語に対する知識も付いてきたのでそこはスルーし、ニヒリズムについての知識もある程度ついてきたので、ニヒリズムへの言及箇所に線を引くことが多くなったのです。
 ニヒリズムについて、本書ではかなりユニークな定義付けがなされた上で論じられています。その独自のニヒリズムの定義について考えることで、著者の考え方が浮かび上がってくるように感じられました。著者の考え方の志向性を探る上で、本書は重要なヒントを与えてくれるはずです。

 

PS.
 本書についての踏み込んだ考察は、『哲学ごっこ』『西部邁の『虚無の構造』で哲学する。』で行っています。
 ただし、警告でもありお願いでもあるのですが、 西部邁氏のファンの方は絶対に見ないでください。 また、論理的に何が筋が通っているかを、冷静に考えることのできない人も見ないでください。

 『新潮45 2013年9月号』に、佐伯啓思さんの『反・幸福論〈32〉 西田哲学「絶対無の場所」』が載っています。
 素晴らしかったです。良い論文を読むって、本当に良い経験ですよね。
 佐伯さんの問題意識って、すごく共感できるんですよね。「西洋における神」と「東洋における無」の対比って、極めて重要な論点なんですよ。そこに、西田哲学の重要性が浮かび上がってきたりするわけです。
 でも、この問題意識って、分かる人は分かるし、分からない人はまったく分からないんですよね。
 日々の生活がありますから、分からない人がいることはいっこうに構わないわけです。でも、それなら無理に立ち入らないか、分かろうと努力するかにすべきだと思います。
 佐伯さんが述べていることって、非常に繊細なのですよ。繊細な感性が、西田哲学の機微に触れて、そこから何か大切なものを救い出すという営みが展開されているのです。
 ああ、いいなぁって、素朴に思いますね。

 ここで佐伯さんが述べていることって、まったくその通りだと思うのですが、さらに思想を深化させることもできると思うんです。次回以降でそれが為されるかもしれませんし、為されないなら、単著として出たときにでも私なりに論じてみたいですね。

 

 本書は、ミステリの書き方について書かれています。
 例えば、第1のステップは、「読み・書き・読む」です。
 その詳細は、「1・1 とにかく毎日書きなさい」、「1・2 ひたすら読みに読むこと」、「1・3 読むことは書くことなり」という感じです。

 ええと、いや、まあ、その、その通りなんですが・・・。
 まあ、ミステリに限らず、何かを書くって大変だということですね。

 本書を読んでいるうちに、物語の創作意欲は湧いてきましたね。
 あと、この作者は、チェスタトン推しな感じがしました。やっぱり、基本だしね。

『表現者50』

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 今号の『表現者』は、「若き保守論客が語る「戦争」!」です。

 大座談会では、総勢十名による論客が語り合っています。正直、「若き保守論客」とうたっているわけですから、西部邁氏は司会進行に徹するか、若手だけの座談会にすべきだったと思います。発言量に、かなりの個人差があるように感じられました。
 座談会で気になった点として、過去の日本に対する評価が挙げられます。例えば、佐藤健志氏は〈当時の人々には申し訳ありませんが、いかんせん真似の仕方が下手だった〉と述べ、宮里立士氏は〈それが日本の甘さではありますが・・・・・・〉と述べ、中島岳志氏は〈保守派はそう簡単に明治維新を礼賛するわけにはいかない〉と述べています。これらの言説には違和感を覚えました。だって後の世代が、当時を懸命に生きた人たちを後付の知識で批評することには不道徳の雰囲気が漂うじゃないですか。
 もちろん、批判せざるをえない水準はあると思いますが、明治維新にしろ大東亜戦争にしろ、あれだけの事態とその結果を、一体誰が非難できるのだという思いはあります。ましてや、現代日本人が、このなまっちょろい言論空間で批判するってのは、ちょっと嫌だなという思いはあります。
 具体的に中島氏の意見について述べるなら、保守主義の漸進主義の原則を単純に演繹して意見を言っているようにしか思えないわけです。そりゃイギリスのように、(夏目漱石が『現代日本の開化』で言っている)内発的な場合は、急進主義と漸進主義を選べるから良いですよ。でも日本の場合は、外発的であり、急進的な変化を起こさなければ西洋の植民地にさせられてしまうような状況だったわけですよ。それゆえ、急進的に物事を進めざるをえなかったわけで、それによる弊害も簡単に指摘できます。ですが、それを非難するなら、漸進主義で日本がうまく行ったケースくらい提示してほしいですね。明治維新には、漸進主義ではなく急進主義を選ばざるを得なかったという悲劇的側面があるわけです。その点を認識していれば、保守は漸進主義だからそれに反しているからダメ~という意見には、幼稚さが見えてしまうのです。
 逆に好感を持った意見としては、中野剛志氏の〈やむをえない運動の中に置かれたら、個人の主体なんかでは政治家の責任なんか問えない状況になるということです〉という意見や、柴山桂太氏の〈日本の悲劇は、グローバル・スタンダードに合わせようとしすぎた、あるいは合わせざるをえなかった点にあると思う〉という意見です。これらの意見については、その通りだと思います。
 特に、当時はグローバル・スタンダードに合わせるということが、文字通りに死活問題だったわけです。それに比べ、現在のTPPなど、まったくもって合わせる必要のない問題なわけです。明治維新や大東亜戦争などと比べると、今のTPP問題など比べものにならない程に楽な問題なはずなんですよ。それを、むしろ嬉々として参加しようとしているのですから、嫌になってしまいますよね。

 

 以下、個別の論文についてコメントしてみます。

 

<大東亜戦争は全体主義の勝利に終わった>三浦小太郎
 三浦氏は、〈完全武装した中国警察・軍人に対し、ナイフや火炎瓶程度の武器しか持たないウイグル人が立ち向かったことを私は暴動とは言わない。これはレジスタンスだ〉と述べ、〈中国政府のやりかたこそ、「恐怖(テラー)」で民衆を弾圧し支配するテロリズム国家の本質である〉と語っています。ただただ、その通りだと思います。

 

<大東亜戦争を肯定できるか>富岡幸一郎
 富岡氏は、〈史実も理屈もいらない。考え方などどうでもよい。「真剣に考え」れば、大東亜戦争はまず肯定しなければならない。そこから議論をはじめたいと思っている〉と述べています。正直、私には理解できませんでした。「不条理なるが故に我信ず (credo quia absurdum) 」ということなのでしょか? 分かりません・・・。

 

<大東亜戦争と日本の宿命>佐伯啓思
 佐伯氏は、〈私には、大東亜戦争へいたる道程とその敗北は、ほとんど予定されていたかのように見えてしまう。それは、大東亜戦争は、近代日本の宿命的矛盾のほとんど必然的な帰結であり、ここに運命などという言葉は使いたくはないものの、ほとんど歴史の「運命のごときもの」とさえ見えるのである〉と述べています。
 本号を通して、もっとも共感できたのがこの考え方です。私も「運命」という言葉は使いたくないのですが、大東亜戦争については、その運命の香りが漂っているように感じられてしまうのです。

 

 この本については、評価が変な意味で難しいですね。
 解説部分に関しては、まあ、かなりぶっ飛んでいますが、面白く読めました。人によるでしょうけどね。
 ただ、パンクロッカー云々については、まったく意味が分からないというより、意味がなかった気がします。パンクロッカーの部分を除いて、解説部分だけでも何の問題もない構成だったと思います。
 で、解説部分ですが、次のような文章を許せて笑えたりするなら、まあ、読んでみても良いのではないでしょうか?

 

<p.29 第一章>
 「生きるとかマジどうでもいい」。この境地に達すれば何もかも「どうでもいい」ので、何かうまくいかなくっても「どうでもいい」。よって、フラストレーションが溜まることもなく、毎日楽しくヘラヘラしていられるのです。これが最初期の仏教の基本的なアイデアです。
 と、言うと、「おいおい、なんかロクでもねえなあ」と思われる方もいるかもしれません。では、カッコ良く良い直しましょうか。「煩悩を断ち切り」「執着を離れる」のです。どうです? ほら、カッコイイでしょ?

 

<p.32 第一章>
 伝説によれば生まれたばかりのゴータマさんはいきなり立ち上がって七歩歩き、「天上天下唯我独尊(全世界で一番偉いのはオレ!)」と言ったそうです。リアルパンクですね。ちなみにこの台詞、そのまま受け取ると全く鼻持ちならない代物なので、これをなんとかポジティブに解釈しようと多くの仏教者が頑張っていますが、常識的に考えて赤子が喋るわけないので、私たちはとりあえず放っときましょう。


  思わず笑っちゃいました。
 この文章にむかつく人は、読まない方が良いと思います。
 まあ、そういう人は、題名からして手に取らないでしょうけど。