2012年3月アーカイブ

 本書は、現在の日本の大問題であるデフレ脱却へ向けた論理と政策を述べた本です。構成がしっかりとねられていて、非常に分かりやすいです。
 p.171の〈今、日本はデフレですから、やるべきことは当然、国債発行による資金の吸い上げです〉という箇所など、『表現者』という雑誌を読んでいる人なら分かりますが、長年まともな人は言い続けてきたことなんですよね。
 大筋で正しいことが書かれてい本書ですが、同意できないところもあります。p132には〈「デフレ・レジーム」とは、要するに、市場原理主義であるだけではなく、反民主主義でもあった〉とあり、p132~133には〈デフレ・レジームが公共投資を目の敵にするのは、それが、「市場の原理」に反する「民主政治の原理」の典型だから〉という部分です。私は、民主主義的には、市場の原理が賞賛されることもあれば、非難されることもあるとしか言えないと思います。日本の構造改革では、市場の原理は民主主義において賞賛されてきたわけです。
 中野さんは、デフレ・レジームは反民主主義であり、それゆえ、そこからの脱却を唱えているのだと思います。しかし私は、デフレ・レジームは民主主義的に日本の人民に歓呼の声で迎えられてきたのですから、民主主義(それゆえ民意)への批判とともに、そこれからの脱却を唱えるべきだと思うのです。小泉政権下の構造改革など、ほとんど大失敗だったことが明らかになっていますが、民主主義的に民衆の歓呼の声によって迎え入れられたため、いまだに小泉元首相は人気者というありさまです。
 トクヴィルの『アメリカのデモクラシー(岩波文庫)』には、〈あらゆる種類の山師は民衆の気に入る秘訣を申し分なく心得ているものだが、民衆の真の友はたいていの場合それに失敗する。そのうえ、民主政治に欠けているのはすぐれた人物を選ぶ能力だけではない。ときにはその意志も好みもないことがある〉とあります。なるほどな、と思えますね。

 祝! わしズム復活!
 『前夜 ZENYA』と比べ、『わしズムVol.30』は、すべてにおいてパワーアップしています。
 特筆すべきは、田中卓先生の「女系天皇公認の歴史的正当性」です。「天籟」に〈45枚もの渾身の力作〉とあるのを見たときは、感情的で冗長な文章になっているのではと思っていましたが、まったくそんなことはありませんでした。内容は非常に論理的であり、読みやすいものでした。88歳にしてこれほどの論考を執筆できることに対し、ただただ尊敬の念を抱くばかりです。私が特に感銘を受けたのは、〈「夫婦」を日本語で一般に「メヲト」と訓むのは、「女(め)・男(をとこ)」のことであり、父母を「母父(おもちち)」と訓ませた例が万葉集に見える。〈女・母〉を〈男・父〉よりも上位に呼んだのである〉という箇所です。皇統継承における「男系男子」は日本の誇りなどではなく、シナ由来の観念だということが良く分かりました。
 西田昌司議員へのインタビュー「日本の自主防衛を語ろう!」も、読んでいて嬉しくなりました。小林さんと西田議員の感性がかなり一致しているため、論理が流れるように頭に入ってくる気がしました。
 わしズムが復活したのですから、是非「卑怯者の島」を復活させてほしいです。以前のわしズムでは、「卑怯者の島」も「夫婦の絆」も未完なので、「10万年の神様」も未完に終わるのではないかと疑っています(笑)。「10万年の神様」は未完でも良いですが、「卑怯者の島」は是非とも完結させてほしいです。
 「女について」は、ひどいですね(笑)。〈秘め事をぺらぺら友人にしゃべるのってなんでだ? わしのプライベートがだだ漏れになってしまうじゃないか!〉と他人を怒るくせに、自分はそれを漫画にして公表するとは・・・。処女を一回でやり捨てとは・・・、いくらなんでも酷いですね。危ない男に惹かれる女の人以外は、うかつに小林さんの毒牙にかからないように注意しましょう(笑)。
 修羅の門 第弐門の5巻です。この巻では、発勁の原理が明かされます。 私は4巻で、体内に何か埋め込んでいると予想していたのですが、ぜんぜん違いましたね(笑)
 話は変わりますが、作品の都合上、主人強が最強クラスだと、戦う相手を用意するのも大変ですよね。陸奥九十九を倒せるという説得力を、敵キャラに持たせるのは大変な苦労だと思われます。苦戦させるだけの説得力のあるキャラも、あとどれだけ用意できるのでしょうか。あとは、前田ケンシン戦と、海堂晃戦は描かれると思いますが・・・。