2018年2月アーカイブ


 西部邁と三田誠広の共著です。西部のセリフで、ちょっと印象に残ったところを引用してみましょう。


 こういうことはありませんかね。つまり、「独創性」の基盤ですけれども、紋切り型で言えば、ある種の矛盾感覚のようなもののなかから生まれ出てくることがあります。つまり、親は、人生とは矛盾多きものなので、たとえば、「学校の先生の言うことを聞くことは大切なことなのだ」と教える半面、「どうしても気に入らなければ、学校の先生に逆らってもいいのだ」と教えてもいいのじゃないかな。そういうさまざまな矛盾的言説を親が意識的にやると、子供は自分なりの意見とか生き方を模索するようになる場合もある。場合もあると言ったのは、へたな表現の仕方をすると、「うちの親父はなにを言いたいのかさっぱり理解できない」と見放されてしまうからです。




 これは、なかなかに面白い表現だと思います。これを矛盾とみることも、もちろんできますが、矛盾ではなく筋のとおった意見だとも言えると思うのです。例えば私なら、まともな先生の言うことは聞いて、まともじゃない先生の言うことはほどほどに聞いておけ、と言うでしょう。そして、どう考えても筋の通っていない先生の意見は、俺に相談しろ、と。親として、こういったことは子供に言っておきたいですよね。





 藤井聡、浜崎洋介、柴山桂太、川端祐一郎の4名による編集体制で『表現者criterion』がはじまりました。かなり分厚い本ですが、編集者が集まって座談会をし、原稿も各々2つずつ書いているので、この4名の色に染まった雑誌になっています。ですので、雑誌の真価は、この4名の水準にかかっているわけです。

 結論から言うと、柴山だけとびぬけて優秀で、後の3名はちょっと擁護できないレベルでした。いくつか論点をまとめて論じてみましょう。



(1)基準(クライテリオン)について

 まずは、基準についての考え方から。いわゆる保守思想は、理性主義や設計主義に対する抵抗から出てきました。社会に新たな基準を打ち立てようとする勢力に対抗する思想でした。柴山は、その線で基準を求めていることが分かります。「わが内なる生活者」(65頁)で、柴山は次のように書いています。

 オークショットが言うように、近代で進歩的な志向が強まり、保守的な特質が全般的に弱まっているのも事実であろう。しかし、それでも生活の根本感情を、理想郷より現在の笑いを、変化によって得られるかもしれないものよりも今手にしているものに価値を置いたままだ。それが庶民の変わらぬ暮らしであろう。その偏愛と偏見から、信義や正義、公共的制度への愛着や権威に対する畏怖、生活美や共感の感情を引き出しているはずだ。保守主義は、こうした道徳感情に言葉を与え、思想にまで高めることで、近代主義との対決を続けてきたのである。


 この立場には賛成できます。伝統が見えづらくなってきたとしても、庶民生活における偏愛と偏見から基準を見出そうという姿勢には同意できます。しかし、他の編集の3名は、どうやら違う観点を持っているようなのです。



(2)藤井聡

 藤井は、〈我々の身の回りから今、保守すべき「伝統」があらかた消失してしまったのであり、それが平成末期の今日の日本〉(70頁)と書いています。ちなみに原稿は、「隷属に抗う勇気、保守を超えた再生」です。保守を超えた再生、ですよ? 本音が漏れちゃっていますね(笑)。保守を超えたものを、その基準を、藤井が出すというわけです(笑)。

 また藤井はやたらと奴隷という言葉を連呼しています。今回から第Ⅱ期ですが、〈そもそも「奴隷」でいることに甘んじた者に倫理なり道徳なりを語る資格などない〉(67頁)と偉そうです。前号の第Ⅰ期の最終号でも、「馬鹿と奴隷の国の中で」という原稿を書いています。現代の日本人を奴隷とみなし、偉そうに語るということが、そうとうにお好きなようです(笑)。西部邁は大衆批判を繰り広げましたが、それを「大衆」→「奴隷」へと進化させているわけです。西部の大衆批判は、自身の地位も名誉も金も犠牲にする覚悟を伴うもので本物でしたが、当然ながら、藤井にその覚悟はないでしょう。

 もう少しだけ述べておくと、藤井の"伝統"についての理解もひどいものです。座談会(22頁)で、藤井は次のように述べています。


 ただし、良質な伝統が保守されている幸福な理想的社会ならば「クライテリオンを巡る議論」は不要だと言えるでしょう。例えば、前近代の安定した時代に生きたお百姓さんたちは、とりたてて高度に抽象的な議論など経ずとも、彼らが身につけた「伝統」に従うことを軸にすれば、豊かな実りを得ることができたでしょう。


 これは二つの観点から問題があります。一つ目は、安易に前近代のお百姓を理想的社会とみなしていることです。百姓の仕事や生活をなめすぎです。例えば、江戸の農民の識字率は高く、高度な文化や仕事の改良を実践していました。また、現代との死亡率を比較すると、現代がいかに制度的に恵まれているかも理解できるはずです。

 二つ目は、伝統という用語について、西部などが展開してきた成果を反映していないことです。これについては、柴山が「常識を考える」(159頁)で述べている伝統の説明が参考になるでしょう。


 伝統についての重要な論点がここにある。バークは伝統という言葉を用いていないが、危機において意識化されるものを(日本の保守思想家に倣って)伝統と呼んでおきたい。古くは小林秀雄が、最近では西部邁が繰り返し強調してきたように、慣習と伝統は同じものではない。慣習はわれわれが無意識のうちに従っているものであるが、伝統はそうではない。慣習の自明性が失われるような非常事態にあって、慣習の中から意識的に取り出された判断の基準が伝統である。


 こういった伝統をめぐる言葉遣いに、藤井の傲慢さが透けて見えるようです。伝統に従えばよかった前近代のお百姓さんは楽で、伝統が消失したところから基準を求める俺は大変だという意識でもあるのでしょうかね?



(3)浜崎洋介

 浜崎の原稿「現代人は愛しうるか」(97頁)に、次のような記述があります。


 「自殺」か「全体主義」しか選択肢を残していないかに見える現代の大衆社会のなかで、果たして、人が人を愛しうるための「クライテリオン」とは何なのか。


 これ、本当に書いてありますからね。嘘じゃないですよ。

 このレベルに達していると、もはや笑うこともできないです。浜崎には現代が、「自殺」か「全体主義」しか選択肢を残してないかに見えるのでしょう。率直に言ってしまいますが、病んでいますね。こんな突拍子もない意見に同意できる人って、日本中に何人いるのでしょうか? 10名もいないと思いますけど...。

 あと、現代でも、人は普通に人を愛して生活しています。病んでいる人に、わざわざ人を愛しうる基準など出していただかなくて構いませんので。



(4)川端祐一郎

 川端は座談会(33頁)で次のように述べています。


 丸山眞男の思想全体には賛成できないことはいっぱいありますが、良いことも言っていて、日本で何か議論が起きると、どうも日本人というのは、前の段階でいろんな人が積み上げてきた議論を一切踏まえずに、もう一回最初から議論するのだと。つまり、議論の積み重ねができないようになっていて、日本人は昔から伝統的にそうなんだということを言っているのですね。本当にそうだとすると、議論の積み重ねも意見の突き合わせもしないというのは、何か僕らの代に特有のことではないわけで、ひょっとして日本人のもともと持っている習性にそういう傾向があるとしたら、かなり絶望的ですよね(笑)。


 (笑)。

 日本思想史では、きちんと積み重ねの上で議論がなされています。日本人や日本思想は、決して絶望的ではありません。絶望的なのは、川端の知的誠実性の方です。

 ちなみに、あまりにまずいと思ったのか、柴山が座談会の最後(55~56頁)で次のように述べています。

 もう一つは、確かに日本人の中に今までご指摘があったようなある種の弱さがあることは事実なのだけど、ただ一方で日本の思想の系譜を辿ると、西洋の優れたものと共鳴しあうものがたくさんある。


 この見解は、さすがといったところです。



(5)柴山桂太

 西部邁がいなくなり、『表現者criterion』から、なぜか佐伯啓思の原稿も排除されたようです。なので、立ち読みではなく購入する動機は、柴山の原稿の水準次第になってしまいました。あくまで私個人の意見ですけどね。

 今号の柴山の二つの原稿は高水準でした。しかし、今後もこの水準を保てるかは未知数です。二つの不安材料があるからです。一つ目は、他の編集に引きずられて劣化する可能性があること。二つ目は、特に連載の「常識を考える」に顕著ですが、ある制約条件の上で論じていることです。勘の良い方は、その制約条件にピンとくると思います。その条件のゆえに、文章の水準が落ちる可能性があります。もしくは、その条件のゆえに、文章に感動が生まれる可能性もあります。今後の原稿に期待したいところです。


(6)参考になる原稿

 あくまで私個人の見解ですが、参考になる原稿は限られていました。ここを見てくださる方のために、一応挙げておきましょう。

・『わが内なる生活者』柴山桂太

・『保守主義のクライテリオンとしての「実証性」』仲正昌樹

・『クライテリオンの忘却を防ぐために』施光恒

・『リアリスト外交の賢人たち ドゴールの思想と行動PratⅠ』伊藤貫

・『「常識(コモンセンス)」を考える 懐疑主義を超えて』柴山桂太


 それにしても、クライテリオンというカタカナが氾濫していて、読みづらく、いささかうんざりしてしまったというのが正直なところです。別に日本語で、基準が必要だと言えば良いだけなんですけどね。日本語で良いところをカタカナ用語で得意そうに語る人たちって、正直なところ苦手です。


お勧めの本を更新

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 お勧めの本 を更新しました。

 初心者・中級者・上級者でそれぞれ10冊ずつ選びました。やっぱり、有名な古典が多くなりますね。何か読もうと思ったら、有名な古典を読んでみるのも良いものですよ。

 


 最後は、西尾幹二の『我が好敵手への別れの言葉』です。読むだけでムカムカしてくる原稿でした。死人に口なしということを利用し、極めて卑劣な言論が展開されていました。

 西尾が西部と対立しだしたのは「新しい歴史教科書をつくる会」の発足からで、特にその後のイラク戦争における言論でピークに達します。いわゆる反米保守・西部邁と、いわゆる親米保守・西尾幹二による言論戦です。

 そこで西尾は、「いよいよの場面で、国益のために、日本は外国の前で土下座しなければならないかもしれない。そしてそれを、われわれ思想家が思想的に支持しなければならないのかもしれない。正しい「思想」も、正しい「論理」もそのときにはかなぐり捨てる、そういう瞬間が日本に訪れるでしょう、否、すでに何度も訪れているでしょう」とか、「論理と行動は多少とも離れていたほうがいい。つまりある程度思想的にはいい加減に生きたほうがいい」とか書いてしまっているのです。そういった卑劣な行動をすれば、西部と対立することになるのは当然の成り行きです。反米保守から西尾は、親米保守とか、ポチ保守とか呼ばれてバカにされたわけです。ポチ保守とは、アメリカ様の忠犬だと揶揄された言い方なわけです。

 西尾の卑劣な言動による対立ですが、死人に口なしということを利用し、西尾は西部が悪かったかのように追悼原稿の文章をつむいでいるのです。



 だから「合法ではないが合徳」というテロがあり得る、と言って、言外にアルカイダ・テロルを支持してみせる。しかし、もしそうであるならば、アメリカの軍事行動も「合法ではないが合徳」のテロルの一種とみなしてよいのではないか、という自然に思い浮かぶ読者の疑問には、一顧だにしない。



 「一顧だにしない」というのは言いがかりです。西部は著作や共著で、アメリカの軍事行動が如何に筋の通らないものであるかを、懇切丁寧に確かな論拠をもって展開しました。それに対し西尾は、アメリカの軍事力におびえ、アメリカに土下座しただけのことです。

 この言論戦は、議論の筋から言えば、大人と子供以上の戦力差で西部の圧勝だったというのがまともな見方でしょう。ですから、西尾は西部を貶めるのに、無理やりな論理展開をするしかないのです。例えば、以下のような文章で。



 氏が主幹である『発言者』(二〇〇一年十二月号)の座談会で、一人が西部先生の言葉として「ビンラディンの顔はイエス・キリストに似ているとおっしゃった。私はハッとしました。大直観だと思います」を読んだあの当時、私はあゝ、危いな危いなと思ったものだった。どうして西部氏はキリストの顔を知っているといえるのであろう。知らなければ似ているも何もないではないか。人類の中でイエス・キリストの実物の顔を思い浮かべることができる人が本当にいるのだろうか。氏はここまで意識が浮遊することが起こり得る一人であったことはほゞ間違いない。



 この論理に騙されるような人がいるのでしょうか? 西部が問題としているのは、顔の形状の類似性なんかではありません。熱狂的な宗教的情熱をもった人物には、その形相に類似性があるのではないかといった問題を思想的に論じていただけです。そして、思想家として世間に迎合するのでないのなら、その問いは無碍にできない問いでしょう。アメリカが怖くて、アメリカの前で思想的に戦うことを放棄した者が偉そうにしないでほしいものです。

 ちなみに、親米保守の代表として卑劣な言論を繰り広げた西尾ですが、さすがに分が悪いと思ったのか、途中から親米保守を非難しだすという離れ業を展開します(例えば『わしズムVol.31』など)。まさに恥も外聞もない振る舞いです。

 ですから、西部の追悼に際し、対立したときがあったが、西部の方が正しかったと素直に認めればよかったのです。そうすれば、卑劣な言論人生の最後に、少しばかりの誠実さを示すことができたはずです。

 しかし、やはり卑劣な人物は、最後まで卑劣であり続けたということなのでしょう。




 3番目の原稿は、八木秀次の『保守を理論化 生き続ける功績と記憶』です。八木は、生前の西部の自死の覚悟を冗談だと思っていたそうです。短い原稿から、3か所を引用してみます。



 文中にも自死を仄めかすことが書かれていたが、いつもの冗談だろうと受け止めていた。



 狼少年ではないが、そう何度も聞いていると普通は冗談だと思う。が、冗談ではなかった。


 振り返れば全てが「死に支度」と言えるのだが、関わった誰もが本当に自死するとは思っていなかった。



 これは、けっこう驚くべき告白です。短い追悼原稿の中で繰り返し、西部の死の覚悟を真剣に受け取ってはいなかったと言っているのですから。しかも、八木だけがそう思っていたというのではなく、誰もが本当に自死するとは思っていなかったと書いているのですから、あきれるしかありません。

 生前の西部の著作や、本人の立ち振る舞いから判断し、西部の自死の覚悟を冗談だとしか思えなかったような人物がここにいたのです。思想的な人物評価を下すなら、3流以下としか言いようがないでしょう。しかも、西部の自死の覚悟を真剣にうけとった者がいる中で、「誰もが」と言ってしまう水準では、何流といった高尚な言い方すらおこがましく、もはやヘッポコな奴だと言うしかありません。

 また、八木は西部との対立点についても言及しています。



 イラク戦争以来、アメリカとの付き合いについての考えが対立し、皇位継承についても何度議論しても折り合うことはなかったが、会えば、和やかな会話が成り立った。



 イラク戦争では、親米保守と反米保守という対立構造が顕在化し、言論戦が繰り広げられました。要するに、アメリカによるイラク戦争が、侵略的で否定すべきものだという反米保守の筋の通った言論があったのです。西部邁などのごく少数派が、いわゆる反米保守の側から筋の通った言論を展開したのです。その後のイラク戦争の評価をめぐり、当のアメリカや追随したイギリスからも反省の声が出てくる中では、どちらに道理があったかは一目瞭然でしょう。この言論で、へたれた立場しか表明できなかった八木は、やはりヘッポコだとしか言いようがありません。

 また、皇位継承について八木は、男系男子による継承の維持を主張しました。その理由として、なんと「Y染色体にある遺伝子は代々男性にしか受け継がれない」という滅茶苦茶な論理展開を持ち出す始末なのです。そんなヘッポコとは、対立するしかないでしょう。それでも和やかな会話が成り立ったということは、西部が紳士的だったということなのでしょう。



続く


 次は、富岡幸一郎の『戦後日本人に突きつけた最後の問い』です。本原稿の内容は、西部と富岡の長い関係がしのばれるものになっています。二人の関係した濃密な時間が可能とした、秀逸な内容をみることができます。

 西部の死を、富岡は「自殺」ではなく「自裁死」ととらえています。その実践について、彼は次のように述べています。



 それは、「人格上のインテグリティ(総合性、一貫性、誠実性)」を己れの言動の最も本質的なものとされてきた西部先生にとっては、ごく自然な、あえていえば言論人として当然の理であったろう。だからこそ今回の自裁死は、西部邁という思想家がわれわれに呈した最後の、そしてとても大切な課題であると私は受け止めたいのである。



 ここには、謙虚な弟子の姿勢がみられます。しかし、かなり危ういことが表明されていると私には思われます。たしかに前半の西部の自裁死が「人格上のインテグリティ」からのものだというのはその通りだと思います。問題は、後半部です。西部の自裁死を、「課題」として受け止めるということについてです。

 私は、西部の自裁死を「課題」とは受け止めていません。なぜなら、西部は生前の著作で、自分の自裁死の論理を明確に描き切っているからです。ですから、私にとって西部の自裁死は、私の人生の締めくくりについての、あくまで一つの選択肢としての、参考例になるのです。少なくとも、そういった選択がありえるのだという認識、および、それを実践した人物がいたという認識は、自身の人生にとって有益だと私には思われます。

 しかし、それを「課題」とするということは、さらに一歩踏み込んだ表現です。つまり、自分は自裁死を選ぶのかという問いが課されたということを意味するでしょう。違うでしょうか?

 富岡はクリスチャンだったと思います。そして、クリスチャンは「自殺」が禁じられているはずだったと思います。西部の自裁死を、自身の「課題」と受け止めるなら、死の前の表明が求められるはずです。少なくとも、思想的に誠実であろうとするのなら。

 富岡は、もしかすると、そこまで考えずに表面的な言葉を書いてしまっただけなのかもしれません。ですが、仮に、そこまで考えて「課題」と言っているのなら、その後の経過が気になります。



続く

 『正論2018 3』に、「追悼特集 西部邁の死」が掲載されています。佐伯啓思、富岡幸一郎、八木秀次、西尾幹二という順番で4名の追悼原稿が載っています。原稿の良し悪しの順序と、掲載順がぴったり重なっており、なかなかに興味深いです。最初に言ってしまうと、以下の評価になります。



<良い>
 ↑ 佐伯啓思  → 偉大
 | 富岡幸一郎 → 秀逸
 | 八木秀次  → ヘッポコ
 ↓ 西尾幹二  → 卑劣
<悪い>



 単に良し悪しの評価を述べただけでは、不適切であり不十分でしょう。それぞれの原稿に対し、掲載順で評価の根拠を述べてみようと思います。

 まずは、佐伯啓思の『その苛烈で見事な生きざま』という原稿から論じてみましょう。本原稿において、佐伯は西部の死が意図的なものであったことを指摘しています。苛烈で見事な生であり死であったという評価をしています。

 佐伯から見た西部との出会いから付き合いへの情景は、感慨深いものがあります。引用してみましょう。



 先生はまだ三十代の半ば、まったく教師然たる風波は微塵もみせず、いい方は失礼ながら、何か兄貴風であった。その親しみやすさのゆえに、私たち数名の学生は、毎週、雑談をし、濃密な時間を過ごした。そして、私はいま目の前にしているのはとてつもない人物である、という確信を得るのにさしたる時間はかからなかった。



 素直に、羨ましい青春時代だなと思います。かくいう私も、かつて表現者塾へ参加していたことがありました。敬称略で失礼しますが、西部や佐伯と話をし、尊敬すべき人物だと感じたことが思い出されます。良い経験を積ませていただけました。

 佐伯啓思というと、西部にもっとも寄り添った保守主義の弟子といったイメージがあるかもしれませんが、そんな簡単に割り切れる関係でもなかったのでしょう。佐伯の語る西部の保守には、微妙で繊細な感性があふれています。



 時には、西部は保守なのか左翼なのかよくわからん、などという。要するに、西部は自分の味方なのか敵なのか、というわけである。だが、西部邁が保守派であろうとなかろうと、そんなことはどうでもよいことのように私には思われた。



 これは、驚くべき表現です。世間の一般的なイメージでは、西部邁といえば日本の保守主義の重鎮であり、佐伯はその思想を引きついだ忠実な弟子筋だと思われているからです。

 しかし、ここの佐伯の見方は非常に重要です。佐伯啓思という思想家の偉大さが、この表現から分かります。西部邁の他の弟子やファンなどの多くは、西部の権威や、その権威を反映した「保守」を振りかざしているに過ぎないからです。予言しておきますが、西部の死後、彼の保守主義や保守思想を受け継いだと言い張る者たちによって、かなり無残な光景が繰り広げられることになるでしょう。

 佐伯がそういった者たちと違うところは、西部の権威や、保守という言葉の有用性ではなく、あくまで西部の人格を評価している点です。人格を評価しているので、保守だとか、保守ではないとかは、どうでもよいのです。

 この視点に、私はまったく同感です。私は保守主義には欠陥があると思っていますし、西部が保守に限定して語ったことにはうなずけないところが多々ありました。しかし、別に保守でもなくても成り立つ言動は、ほとんどが正しかったと思います。ですから、保守であるかどうかはどうでもよく、非保守の私が、西部邁を人格面から尊敬できたのです。

 塾の後の飲み会で、つまりは酒の席での西部の口の悪さは有名でしょう。世間的に評価の高い人物や、歴史的な人物にいたるまで、西部の口からは忌憚のない批評が表明されていました。その中で、西部が語る佐伯啓思には、特別なものがありました。少なくとも私は、西部が佐伯を悪く言っているのを聞いたことがありませんでした。

 本原稿では、かりにという条件づけで、佐伯からみた西部流保守の神髄が語られています。それは、やはり偉大は偉大を知るといった、見事な表現がなされているのです。



続く

 西部さんのセリフから、印象深いものを選んでご紹介してみましょう。


 幸せという言葉は私も遣わないわけじゃない。だけれども、活字としては、「仕合わせ」のほうを選びます。

 これには私なりの思いがあって、「仕合わせ」というのは、生の良い形というものが、もっといえば精神の良い形というのがあるはずだととらえ、その方向に自分の言葉や振る舞いを合わせることができたときに得られるものです。「為合わせ」という字も同じことです。



 単純に、幸せと言ってしまうことに抵抗があるという感覚。私も分かります。仮に自分が幸せだったとしても、「私は幸せだ」と公言することには、なにか疚しさがあると思われるのです。


 どういう人生の形を選ぶかということは、どういう生=死の物語を選ぶかということと同じです。生も死もあるべき物語のための材料にすぎないんです。



 それを、西部さんは常に問い、そして実践したわけです。それは、やはり偉大なことだったのでしょう。



 というのも歴史をながめると、真善美はいつも少数派の側にあり、そして少数ですからいつも負け戦さだったんです。でも、歴史を通じて残されたものを勘定してみれば、幸いにも愚かなる多数派の言い分はおおよそその場かぎりのものとして消滅していますので、少数派の勝利なんです。

 時間軸に沿ってながめれば、多数派の流れは次々と砂漠に没していく。歴史の一貫した流れを可能にしているのは少数派による真善美への努力だといってよいのではないでしょうか。




 これは、確かにそうだなぁと思う反面、違うのではないかという感じも覚えます。おそらく、歴史の流れは、多数派がつくったといっても、少数派がつくったといっても、不十分なのでしょう。ときには多数派がつくり、ときには少数派がつくり、その境目は、容易には判断できないものなのだと思われます。