2011年12月アーカイブ

『表現者40』

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 『表現者40』を読みました。今号は論考で良いと思えるものがいくつもありました。論考内の、ぐっときた文章を引用していくつか紹介します。どれも恰好良いです。

【シンフェーンの覚悟(西部邁)】
<20ページ>
 政治の残酷が罷り通るのは、その政治が祖国という名分に繋がれているからである。だが、その名分に込められている祖国の内実は何かと問うてみると、そこに女たちがひそかに登場する。女たちの引き受けてくれているはずの喜怒哀楽すべてに及ぶ複合感情の延長と持続、それが祖国の実体なのだ。
<21ページ>
 我らの同胞たる日本人は、男たちにあって「我らのみ」でも戦うという覚悟を、女たちにあって(自分らの男たちを殺した者たちにたいして)「二度と顔をみせるな」と言い放つ純心を、きれいさっぱり捨てたらしい。そうするのが平和で安全だという打算がこの列島を覆って六十六年である。

【逃れえない危機(佐伯啓思)】
<59ページ> 
 われわれはわれわれの欲望が生み出したものにがんじがらめにされ、自由がもたらす煉獄と科学技術が生み出す牢獄へと監禁されている。われわれは欲望の主体であることによって、自らの欲望に従属させられているのだ。さしあたり、この監獄から逃れるすべはない。われわれにできることは、残念ながら、この事態を直視するだけである。しかし、そのことを直視すれば、未だに「自由」や「安全な技術」や「地球的一体化」などというバカげたクリーシェを唱える愚からは身を引くことができるだろう。

【帝国主義の再来?(柴山桂太)】
<64ページ>
 帝国主義はかつてのような野蛮な姿ではなく、自由貿易の皮を被って、もっと現代的な姿でやってくるのだ。
<65ページ>
 日本に必要なのは「攻め」ではなく、来るべき経済戦争から国内の雇用と秩序を「守る」ことをおいてない。

PS.
 座談会で中島岳志が〈大東亜戦争全面肯定論も保守派の論理からすると成り立たないと思っているんです〉と述べていますが、大東亜戦争全面肯定論とは、「日本無罪論」なのか「日本無謬論」なのかはっきりさせてください。あと、誰が唱えているのかもはっきりさせてください。

 ヤスパースの『哲学』を読みました。
 個人的見解ですが、人間的にはハイデガーよりヤスパースの方が好きですが、哲学的にはヤスパースよりハイデガーの方が好きです。
 ヤスパースの哲学には、キリスト教を前提としなければ成り立たない論理の飛躍が見られます。そこが魅力でもあり、批判できてしまうところでもあります。例えば51ページの〈かかる社会我として私はわれわれすべてとなる〉というところなど、ヤスパース特有の論理の飛躍が見られて嫌な感じがします。飛躍は飛躍でも、181ページの〈思惟の遂行が交わりを促進する程度に応じて、一つの思想は哲学的に真である〉などは、面白いと思えてしまいます。飛躍が隠された論理性に裏付けられている場合もあります。214ページの〈歴史性は合理的なものと形態化した非合理的なものとをみずからの媒介としてもっている。歴史性は非合理的ではなく、超合理的である〉という箇所は、しびれますね。
 哲学者の著作を読み、書かれている内容に一喜一憂するのは、とても贅沢なことです。その贅沢が味わえる本だと思います。

 修羅の門 第弐門の4巻です。月刊で読んだときは、すぐにルゥ・ジァ戦に突入した気がしたんですが、ちゃんとコミックス1巻分前振りしてたんですね。
 発勁の正体は、身につけている布に秘密が・・・なんて、つまらないオチではなく、おそらく体内に何か埋め込んでいるんだと予想しておきます。
 あと10ページ目に、陸奥戦を見終えて、皇帝の闘いの前に席を立った男の描写があります。こいつは何者だ。前田ケンシンか?それとも?
 なんにせよ、次巻も期待大です。あとがきにも、読者の想像を超えたいとあるので、楽しみにしています。

 『前夜 ZEN-YA Vol.1』が創刊されました。今後の展開に期待します。
 脱原発に関する論考は読み応えがありますが、『わしズム』を読破した者からすると、やはり勢い不足は否めない感じです。『わしズム』では、Vol.1からVol.2へと続き、あらゆる面で勢いがアップしていたので、『前夜 ZEN-YA Vol.2』に期待しています。
 本書では女性執筆陣の活躍を予定しているようですが、『わしズム』の「長谷川三千子の思想相談室」を知っている読者としては、それなりの女性作家をどれだけ呼ぼうが、長谷川三千子さん一人に到底及ばないと思えてしまうので、前途は多難な気がします。というか、思想相談室を再開してほしいなあ・・・。
 エロ方面に傾斜している感がありますが、私にはどうも馴染めません。吉と出るのでしょうか?不安です。エロ自体を否定はしませんが、下品なエロならそれ専用の雑誌が山ほどあるのですから、せめて知的なエロを見せてほしいです。今号では、エロ論考にあまり知的さが感じられなかったのは残念です。
 色々言い過ぎましたが、『わしズム』を超えろとは言いませんが、それに匹敵する雑誌になるように応援していきたいと思っています。
 タイラー・コーエンの『大停滞』は、非情に分かりやすく重要な論点を述べています。現代経済学における良書と言えると思います。
 要旨は明確で、第1章の題名である「容易に収穫できる果実は食べつくされた」ということです。その果実とは、(1)無償の土地、(2)イノベーション、(3)未教育の賢い子どもたち、の三つです。なかなか説得力があります。
 素晴らしいところとして、論旨が絞られていて明確化されている点です。そのため、賛成できる理由も、反対できる箇所も簡単に指摘できるからです。例えば、p.56に〈既得権やコネや汚職やインチキによって、輸出の数字を高めることはできない〉という箇所は、些細な点ですが間違いだと指摘できます。正確には、「できない」のではなく「難しい」です。短期的には、それら不正な手段を政府が行うことで輸出を高めるたり、減り幅を抑制したりすることができます。もちろん、お勧めはしませんが。
 p.132には、〈さしあたりは、私たちが過去に経験したことがないくらい、景気後退長引くことを覚悟する必要がある〉とあります。私も、残念ながら、これは当たる可能性が高いと思います。そこで、さらなるイノベーションも重要なのですが、循環型社会における経済を模索すべきだと私は思います。

 これは柔道を愛する著者が、たくさんの人達の協力のもと、真摯(しんし)な男たちと女たちを描いた真摯な物語です。
 誇張でも何でもなく、格闘技にまつわるよくできた名作の域を超えて、歴史的傑作とまで呼べる作品です。格闘技や武道に少しでも興味のある人は、是非とも読んでみてください。間違いなく、読む価値のある本です。
 p.306に、〈だから、ここまで読んできた読者も牛島支持派と木村支持派に分かれるのではないか。〉とあります。私は完全に牛島支持派です。ですから、木村政彦の人間性よりも、牛島辰熊や阿部謙四郎や大山倍達の思想に共感します。読む人によっては、思想よりも木村の人間性に惹かれる人も多くいるでしょう。その違いの妙味を味わうだけでも、この上ない贅沢です。
 p.310に、〈さらに東条英機首相暗殺まで企てた誇り高き最後のサムライ牛島には断じて墜ちることなどできなかったのである。〉とあり、〈この牛島に対する裏切り行為で、その後の木村の人生には墜ちるという選択肢しかなくなった。〉とあります。坂口安吾の『堕落論』をベースにしたこの語りにより、物語の深みは増していきます。
 しかし、『堕落論』には、〈だが、人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう。(中略)人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる。(中略)墜ちる道を墜ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない〉ともあるのです。木村は、墜ちた先で、自分自身を発見し、救わなければならなかったのです。それができたのか否かは、実際に本書を読んで各自で判断してください。私には、木村は自分自身を救い、それ故に、木村を愛した人達をも救えたのだろうと思えました。
 最後に、牛島支持派として新潮文庫『堕落論』内の「特攻隊に捧ぐ」をお勧めしておきます。そして、それ故に、それにも関わらず、木村には思想がなかったのではなく、木村にも木村なりの思想があったのだと思うのです。