2013年2月アーカイブ

『表現者47』

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 今号の特集は、「取り戻すべき日本とは何か」です。ざっくり言ってしまうと、取り戻すべき日本は、TPPでも新自由主義でも構造改革路線でもないよってことですね。

 本号で気になった論点の一つに、プラグマティズムについての考え方があります。
 藤井聡さんの『プラグマティズムの作法』という著作について、西部邁さんが〈「役に立つ」ということは、かなり難しいところがあって〉と述べています。特に、デューイのプラグマティズム解釈が、多数の意見の肯定に向かうことの危うさを論じています。
 単に論理的な話でしかないのですが、「役に立つ」ということの基準は、「役に立つ」ということそのものからは導き出せないんですよね。何を役に立つと見なすかは、歴史や伝統の制約を受けざるを得ないし、受けるべきなんですよね。
 西部さんは、〈(チャールズ・サンダース・パースの表現でいうと)プラグマティシズム(実践主義)においてしか、道義を具体化することはできないのである(p.197,198)〉と述べています。この意見も分からなくはないのですが、少しだけ注意が必要だと思われます。
 パースは『概念を明晰にする方法』という論考で、プラグマティズムの格率について述べています。そこでは、〈現存の人類がほろびたのちに、研究の能力と性向をもった他の人類があらわれたとしても、例の真の意見はかれらが究極的に到達する意見でなければならない〉と語られています。パースが「実在概念」を重視していたことにも注意すべきです。『プラグマティズムとは何か』という論考では、〈不必要に形而上学をばかにしたり、嘲ったりはしない。プラグマティシストは形而上学から、有益なエッセンスだけを抽出し、それを宇宙論や物理学の研究に役だたせるのである〉と述べられています。パースの考え方からすると、プラグマティズムの拡大解釈がなされていないか、注意してもしすぎることはないと思います。
 ちなみに私は、プラグマティズムの思想家ではパースが一番優れていると考えています。しかし、パースの連続主義における徹底的進化主義の考え方などに嫌悪感を抱いてしまうのですよね。まあ、これは蛇足な意見です。
 さて、気になった論考へのコメントをしていきます。

<安倍新政権と公共事業(榊原英資)>
 p.011に、〈コンクリートから人へという政治スローガンにそれなりの意味があったことを認めない訳ではありませんが〉とあります。それなりの意味って、何かありましたっけ?

<失われた祖国(三浦小太郎)>
 チベット問題について論じられています。〈弾圧と暴力に追い詰められた人々の中で、自由と民主主義といった近代的価値観以上に彼らの精神によみがえったのは、チベットの歴史伝統、ダライラマ法王に象徴される信仰世界の復活を狂おしくも求める心だった(p.015)〉とあります。チベット僧による抗議の焼身自殺は、端的に、現在のこの地球上において、最も偉大な人間行為の一つです。

 <保守放談>
 〈憲法の名に本当に値するのは、国家の根本規範にかんして国民が共有する「常識」のほうである(p.055)〉と語られています。素晴らしい見解ですね。

<経済の回復から文化の再生へ(富岡幸一郎)>
 富岡さんは、〈地域社会におけるボランティア活動(p.058)〉を、〈安倍政権においてぜひ実践していただきたいプランである(p.059)〉と述べています。富岡さんはキリスト教徒なので、こういった意見を述べてもおかしくないですが、キリスト教徒ではない私のような人間には、ボランティア活動につきまとういかがわしさを感じてしまうんですよね。ボランティア活動して自分は良い人間だと思うことより、勉強や部活などを精一杯した方が良いと思うんですよね。

<安倍政権への期待と危惧(佐伯啓思)>
 〈大勝した安倍内閣の最大の敵対勢力は、この民主政治の中で醸成される目にみえない大衆的気分という奇妙なものというほかないであろう。強いていえば、それに一定の形を与え、暗黙裡にそれを誘導するマスメディアということになろう(p.063)〉とあります。まったくその通りですね。

<取り戻すほどの日本はありや(中野剛志)>
 〈取り戻すべき「日本」は、少なくとも戦後には存在しないのだ(p.083)〉とあります。まったくその通りですね。

<「取り戻せる日本」と「取り戻せない日本」(伊藤貫)>
 さすがに論考のレベルが高いです。参考になります。

<レ・ミゼラブル、日系米国情報部員に誑かされた日本帝国(寺脇研)>
 う~ん。レ・ミゼラブルは私も見ましたが、傑作だと思いますよ。外国産より国産という意識がかなり高い私ですが、外国産でも良いものは素直に良いと受け止めるべきだと思います。〈ハリウッドの大手ユニバーサル・ピクチャーズが世界的ヒットを狙うこの作品(p.148)〉と述べていますが、批判するなら、具体的な内容について論じてほしいです。

 

 三橋貴明さんと岩本沙弓さんの対談本です。経済について、色々と語られています。
 本書で感銘を受けた箇所を述べていきます。まず、〈ケインズ的なことを言うと、ケインズは古いとか言われます。関係ないだろう、古いとか新しいとか。なんでも新しいものが常に正しいのかと、言いたいわけです(p.35)〉と三橋さんが述べているところが挙げられます。まったくその通りですね。古いということが非難語になっているというのは、進歩主義という悪しき思想が蔓延している証拠です。古いものの中にこそ、価値あるものを見いだすのが日本人の本領でしょうに。
 次は、〈自由貿易というのは、基本的に昔は帝国主義者が使っていた言葉です。今もそうかもしれないけれど(p.70)〉という三橋さんの意見です。自由とか自由貿易って、たまたま大きな力を持つ側に立った者が、その大きな力でか弱きものを蹂躙するために利用するものだったりするんですよね。自由という言葉に対しては、その意味するところをよくよく考えてみることが必要だと思います。
 岩本さん意見では、〈結論としては、欧州はこの先失われた20年を経験しなくてはならないということにつきるでしょう(p.75)〉と述べているところが参考になります。それに対し、三橋さんは、〈失われた何十年(p.75)〉と返しています。欧州の事態は深刻です。その余波を、日本はどういなせるかが重要になってくると思われます。
 ちなみに三橋さんは、〈今だから論理的に説明できますが、ユーロが始まったころとか、大前研一氏がユーロを絶賛していたころとかは、誰も気づかなかったんですかね。私はそのことろを知らないんだけど(p.134)〉と述べています。参考までに、『表現者』の2012年09月号で佐伯啓思さんは、〈今日、われわれはこうしたEUの苦悶を目撃している。しかし実は、それはEU形成が具体化した時点で十分に予見できることであった。本当をいえば、何も今頃になってあたふたとするような事態ではないはずだ〉と述べています。
 三橋さんの発言で格好良いところは、〈国境とか国家を否定することは、最終的にはできないんです(p.170)〉と述べているところや、〈皇室否定派は「民主主義が決めたからいいんだよ」と言うかもしれません。民衆が総意に基づいて選択したからいいんだと。でも、そういうのは多数決で決めていい話じゃないですよ(p.255)〉という意見ですね。格好良いですし、まったく正論ですね。
 本書の中で、微妙に賛成しかねる箇所もあったのでいちおう述べておきます。p.294の〈日本は国全体の貯蓄率は、全然減ってない。家計の貯蓄が減っているように見えても、問題ないんですよ〉という意見です。企業の貯蓄と家計の貯蓄の総額が変わっていないから問題ないというのは、ちょっと違うのではないかと思います。家計は貯蓄を重視し、企業は投資を重視するのが健全だと思いますので、企業と家計の貯蓄の比率は考慮すべきだと思います。 
 題名と、ドストエフスキーを論じているという点に惹かれて読んでみました。
 「悪」について、様々な作品を基に語られています。哲学的な深度は、正直あまり感じられませんでしたが、多角的に論じようとしているところは参考になります。
 ドストエフスキーの『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』における悪の問題については、正直、この本では解明されているとは言い難いです。ですが、それだけドストエフスキーの提示した問題は奥深く、それについて自分で思考することが必要になります。そのことを自覚させてくれるだけでも、本書を読んだ意味はあると思います。

 本書は、〈成長のための努力を捨て、成長を目指そうとする真っ当な日本国民を嘲笑するどころか、妨害をしようとする許しがたき日本人たち(p.8)〉を、論理的にけちょんけちょんに論破している本です。たいへん面白かったです。
 本書にはまともなことが、はっきりと書かれています。例えば、〈経世済民を意識しているか否かを考えた場合、政府、企業、家計の順番に意識しなくなっていく(p.20)〉とか、〈経世済民という「政治」をするのは政府の役割なのだ(p.21)〉という意見など、あらためて考えると、本当にその通りだなぁと思えますね。〈そもそも政府とは「利益を追求してはならない」経済主体なのだ(p.24)〉というのも、考えてみれば当たり前なのですが、そう断言することにしびれますね。
 三橋さんと言えば、経済データの使い方が桁外れにうまいです。〈「公共投資を拡大したのに成長しなかった」のではない。「公共投資を縮小したために成長しなくなった」が真実なのである(p.40,41)〉とか、〈戦前はともなく、戦後の日本の貿易依存度、輸出依存度が他国と比べて相対的に高かった時期は一度もない(p.149)〉という話など、マジでか!と驚かされます。
 本書の中に、二点ほど異論があったので参考までに述べておきます。
 一点目は、〈黒字になる事業であれば、政府ではなく民間企業がやるべきなのである。黒字の事業を政府が推進するなど、民業圧迫もいところだ(p.25)〉という意見です。経世済民の立場から、黒字になる事業でも政府がやるべきことは、可能性としてありえると思います。例えば、ある種のギャンブルなどです。
 二点目は、〈政府が企業に、「生産性を高めてはいけない」「グローバル市場を目指してはいけない」などと「指導」することは、少なくとも日本政府には不可能だ(p.187,188)〉という意見です。確かに「指導」することは難しいですが、間接的にし向けることは可能ですし、やるべきだと思います。例えば、デフレ時に企業は、コストをかけずに生産性を高めようとして、社員にサービス残業をさせまくることがあります。そのときは政府がサービス残業の監視を強化すれば、デフレ時に生産性を抑制させたり、さらには新たな雇用を発生させやすい環境にしたりできます。
 さて、現在のアベノミクスの成功から明らかなように、三橋さんが日本の経済に果たした役割は非常に大きかったと言えます。私は民主主義に疑いの目を向けているため、経済はともかく政治思想については三橋さんとは意見が異なる点もあるのですが、三橋さんの業績は評価せざるをえません。三橋さん。日本のために頑張っていただきありがとうございます。