『日本経済史(岩波書店)』永原慶二

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 永原慶二の『日本経済史(岩波書店)』を読みました。
 本書を読む前に、石井寛治の『日本経済史[第2版](東京大学出版会)』を読んでいました。そのため、p.6の〈日本の経済史をめぐる研究では、たとえば、"荘園制社会は家父長的奴隷制社会である"というように、一つの経済社会の認識を、基本的ウクラードの把握に収斂させてとらえることを究極目標とする傾向が根強く存在する。もとより基本的ウクラードの確定は経済史認識によってもっとも大切な事柄であるが、そのような基底還元的な方向だけでは、豊富な内容をもつ具体的な日本経済史の総体把握が十分な形で達成されないことも明らかである〉という文章から、期待して読み進めました。しかし、期待は裏切られました。
 本書には、たとえば、p.33に〈日本最初の階級社会は総体的奴隷制社会と規定すべきであろう〉とあり、p.60に〈かれらは自由な私的土地所有者として成長したのではなく、アジア的古代専制国家体制に規定された存在〉とあり、p.68では〈律令制社会の社会構成史的性格〉に対し〈「総体的奴隷制社会の最終段階」と規定することができるであろう〉とあり、p.154~155には〈アジア型の国家的封建制への道は止揚されたというべきであろう〉とあります。著者は、日本の歴史を奴隷の歴史にしたくてしたくてたまらないのでしょう。
 差別を大声で非難するものが、実は差別大好き人間であるという実例がはっきりと示されています。マルクス主義に基づいた学者にとっては、自分を美化するために、過去の社会は奴隷制を持たなければならないのです。そうでなけば都合が悪いのです。そのため、自身のねじ曲がった解釈によって、あらゆる制度を奴隷制に結びつけて論じてしまうのです。ある種の社会的時代的な条件下で、誇りや満足をもって生きた人間を、徹底的に貶めて、悦にひたっているのです。本書は、非常に醜い精神のありさまを見せつけています。

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