『日本破滅論』藤井聡・中野剛志

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 本書は会話形式で進むため、かなり読みやすい印象を受けました。
 本書中で最も面白かったのは、p.88の中野さんの発言で、〈モデルをつくった学者は、その数字が一人歩きするだろうと知っている。もし専門家に追及されたら、「私はこれこれの前提があると言っている。それを言わない政治家がいけない」と言い訳するのでしょう。そういう言い訳に対しては、「よしよし、お前が悪くないのはわかった。お前は卑怯なだけなんだな〉と言ってやりたいですね。と語られているところです。いや~、素晴らしいユーモアのセンスです。
 本書で、唯一理解できなかったのは、p.162の藤井さんの発言で、〈本来的な民主主義とは、国民民主主義のことです。〉というところです。国民民主主義に対し、〈大衆民主主義〉が示されています。その後で、〈民主主義は必然的に非本来的なものに流れていきがちです。〉とあります。これは、とても変な考えだと思われるのです。私には、「本来的な民主主義とは、大衆民主主義のことであり、民主主義は必然的に本来的な大衆性へと流れていく」と思われるのです。もし民主主義を国民民主主義としたいなら、民主主義の中に、非民主的要素を持ち込む必要があるはずなんですよね。
 また、p.173の〈大衆性テスト〉をやってみました。私は、3個でした。ですので、テスト結果では非大衆人ということになります。でも、19の〈自分は進んで義務や困難を負う方だ〉に○を付けない時点で、自分は十分に大衆的だと思います(笑)。
 あと、9の〈人は人、自分は自分、だと思う〉に○を付けましたが、オルテガの「自分の歯痛は自分だけが痛い」という観点からの意見なので、その場合は結果が逆になると思うんですよね。14の〈日々の日常生活は感謝すべき対象で満たされている〉にも○を付けませんでしたが、感謝する対象がたくさんあっても、満たされてはいないだろって思う場合はどうなんですかね?逆になりませんかね?
 本書の最後は、中野さんの盛大な皮肉で締められています。これほど盛大な皮肉は、なかなかお目にかかれませんね(笑)。

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