『金銭の咄噺(NTT出版)』西部邁

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 保守思想家の西部邁さんが、自身の金銭にまつわる話を中心に語っている自伝的な本です。私が個人的に素晴らしいと思った箇所をいくつか挙げてみます。

<p.065>
 「あの親父はいい奴だった。とくにあの微笑みはいいものだった」と私は、今、思います。
→この前後の文脈を味わってみてください。西部邁という思想家が、他の思想家から特出している理由が分かると思います。

<p.069>
 その自己嫌悪は罪悪感というのとは違います。自分が自分にとって見知らぬ者に変化していく、ということへの恐怖が私をむんずととらえるという趣でした。
→この描写は秀逸です。私もこのような感覚を味わったことがありますが、その感覚をこのように描写すれば良いのかと感心してしまいました。

<p.077,078>
 最近、七十五歳になった兄に、「あれは無理をして教養のほうを選んだのか」と確かめましたら、「うん、相当の無理をしてな」ということでありました。
→素直に、良い話だなと思います。〈兄が迂闊であったのは、その公共財にたいする弟の需要が零であることを考慮しなかった点です(p.080)〉という意見は、必要悪としての蛇足ですね(笑)

<p.104>
 「帰る家」のない人には申し訳ない言い方と知りつつも、あえて断言します。家に戻って「メシとミソ汁」を食べることができるかどうか、それが決定的な岐路になる人生の瞬間があるものなのです。
→残酷な人生の真実ですね。本当に、残酷でしんみりくる真実です。

<p.196>
 前途有望な青年たちに論文発表の場を提供すると構え、稿料も相場より多く払い、またたとえあらゆるメディアから縁切りされて独りになろうとも発言を止めないとの姿勢をとる、それが自分のうちに確認することのできたささやかな公共心だったのです。
→西部さんがこのように生きたことは、実は日本にとって少なくない良い影響を及ぼしたと思われます。例えば、中野剛志さんや柴山桂太さんなどが世に出ることに対し、少なくない助けになったと思われるのです。

<p.221>
 というわけで、「カネは何とか作るから、お前もできるだけ延命するよう励んでくれ」という何の変哲もないことしかいえないということになります。
→ここの前後の文章は、とんでもない水準に到達しています。私ごときには安易な感想を述べることは不可能なので、是非、実際に読んでみてください。

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