西部邁さんの『実存と保守』を読みました。ところどころ心に響く表現があったのでコメントしていきます。
<p.50>
そのとき少年は、孤独というものの正体をわかったような気がした。それは、寂しさといったような感情を一切排除するような、「この宇宙にいるのは自分一人」という客観のことなのであろう、と察知したのである。それに続いて、広い宇宙を「罪には罰」といったような戒律がこれまた客観として貫いているのであろうとも感じた。つまり、一種宗教的な感覚が少年の幼い心に湧いたのである。
→ 後者の宗教的な感覚については、半分くらいは分かるような気がします。前者の孤独については、深い共感を覚えます。自分一人という客観の主観に共感を覚えるという、不思議な感情が生まれました。
<p.66>
少年たちがそうしたのは、ちょっと仰々しくいってみると、狭い了見しか持てぬ限界状況での彼らなりの本源的な振る舞いとしてであった。本来的であろうとする姿勢を状況のなかで実例化されると投石しかなかったのだ。その石礫の一つひとつに彼ら幼い者たちの感情や理屈が精一杯まで盛り込まれていたといってよいであろう。
→ ある程度の美化はあると思われますが、このように言っておかねばならぬという気持ちは大切なのだと思います。あのときのあの行動には、自分なりの意味があったのだという、(知識量を増やした後での)後付の理由付けは、人間が人格を構築していくという営みの一つなのだと思います。
<p.69>
老人は、緒戦で日本軍が圧勝したとき、四十歳になろうとする老年兵や十八歳かそこらの少年兵を掻き集めた硫黄島守備隊が歌謡曲「旅の夜風」を合唱したというのをある書物で読み、思わず落涙しそうになった。
→ ここには深い感受性が示されています。悲劇的な状況において、人間はその悲惨な境遇で物語りをつむぎます。そこにおいて人間が偉大であることの可能性が示され、それがある一定以上の感受性(それは最低限の礼節と同値のものです)を持った者の心に響くのです。
<p.70>
ただ、「祖国の女や子供を守るため」という名分で(戦ったというより)火焰放射とダイナマイトで殺戮され尽くす運命を引き受けた兵士たちに「英(すぐ)れた霊」の名目を与えてやらなければ、どんな価値観も虚しくなる、と彼は考えただけのことである。
→ まったく同感です。本書を読んだ彼も、そう考えただけのことである。
<p.90>
つまり異文化と接することからくる感覚と知覚の揺れは、この男にとって貴重なものであったといえるのだろう。その揺れの結果として、おのれの繋がるべきオーソドキシー(正統)は何か、それは宿命的に日本というものなのだ、とこの男は得心したのである。
→ それを読んだ私も得心したのである。
<p.111>
p111
彼が老人期に入ってから、アメリカのイラク侵略が始まった。老人は、同調者がほとんどいないと想像・予想・予測しつつも、その侵略に加担する日本政府と九・一一テロ反対ということでまとまっている世論・言論・理論に逆らうことに心を決めていた。
→ このことが、どれだけ偉大なことであったか。この偉業は、強調してもし過ぎることはありません。この点一つを取っても、西部邁という思想家が、まともという意味でどれだけ偉大であるかが分かるというものです。
<p.163>
道義が具体的に何であるかを知るのには、時代と人生の状況との何らか持続性を有した経験が必要と思われる。で、「武士道に殉じて死ぬという最も好きなことを実際に行うのにも、状況を見極めなければならないので、時間と経験が必要だ」ということになる次第である。
→ その通りなのですが、時間と経験を猶予されているという状況が、自身では如何ともし難い難問なんですよね。そのため、『葉隠』の思想に歩を進めた者は、特攻という思想にも向かわざるを得なくなるのです。特攻という事実により、私は、「時間と経験が必要だ」と声高に唱えることに、若干の抵抗を覚えてしまうのです。
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