今号の特集は、「アベノミクスで日本は甦えるのか」です。例によって、気になった論考にコメントしていきます。
<アベノミクスという政策体系>榊原英資
榊原さんは、〈日本のいわゆるデフレはいわば「構造的」なものであり、中国等東アジア諸国との経済統合によって起っているものなのだ〉と述べ、〈「不況脱却」は必要だが「デフレ脱却」は必要ないということになる〉と語っています。この御時世にデフレ脱却が必要ないというなら、それなりの論理が必要だと思いますよ。結局は、東アジア共同体を推進した悪しきイデオロギーによって、思考が歪んでしまっているということなのでしょう。〈実際二00二~0七年にはそれに近いことが実現されているのだから〉ともありまが、デフレ脱却せずに不況脱却しても、給料が上がらなかったでしょうが。
<座談会 アベノミクスは国家の経綸たりうるか>
脇雅史さんが、〈江戸時代に、地域があれだけ活性化したのは、移動の自由がなかったからではないかと思う〉と述べています。これは、参考に値する意見だと思います。
例えば、荻生徂徠の『政談』には、〈古の聖人の治めの大綱は、上下万民を皆土に有り付けて、その上に礼法制度を立つる事、これ治めの大綱也〉とあります。民を土地と結び付けることの重要性が指摘されています。ただし、商人については、〈これ元来不定なる渡世をするもの〉とあり、〈商人の潰るるというにはかつて構うまじき事也〉と語られています。さすがですね。
<「アベノミクス」が隠す「日本のディレンマ」>佐伯啓思
佐伯さんは、〈実はアベノミクスが本当に功を奏するかどうかはかなりあやしい。超金融緩和はバブルを引き起こし、これは金融市場を不安定化するであろう。公共投資はまたいずれ市場からの反撃にあうだろう。TPPや市場競争戦略は、社会の基盤を弱体化するであろう〉と述べています。これは、注意しておくべき論点だと思います。
<市場誘導という挑戦>柴山桂太
柴山さんは、〈市場主義からの転換をはかるとは、いったんは失われた政府の司令塔としての地位を取り戻すということであり、官民の協調体制をあらたに再編するということである。そのためには、規制緩和(ディレギュレーション)ではなく、金融・産業のゆるやかな再調整(リレギュレーション)が、グローバル化ではなく「脱グローバル化」が目指されなければならない〉と述べています。まったくその通りだと思います。
<アベノミクスに対する三つの批評>伊藤 貫
伊藤さんは、かなり特異な意見を提示しています。〈地方の過疎化と人口の大都市集中という弊害を避けるため、日本を三段階[0%、八%、一五%]の消費税地域に分けるのはどうだろうか。人口と所得が減少している県の消費税はゼロにし、人口と所得増加が顕著な県は消費税一五%にするのである。このような税制を実行すれば、公共事業のばら撒きに頼らなくても、人口と経済活動は自然に低税地域に移るのではないだろうか〉というわけです。
個人的に、メチャクチャな提案だと思います。例えば、福岡と佐賀の県境に住んでいるケースで考えてみます。この場合、今までは福岡の店にも佐賀の店にも行っていたのが、できるだけ佐賀の店に行くことになるでしょう。そうすると、福岡の中央付近の店はある程度大丈夫でしょうが、県境に近い店は潰れる可能性が増大しますよね。そんな現象が日本全国で起こったら、大混乱になってしまうでしょう。そんな奇策に比べたら、公共事業のばら撒きは、なんと優秀な政策なのだと皮肉の一つも言いたくなりますね。
<銃撃戦の鳴り響く国>寺脇 研
寺脇さんは、映画『リンカーン』について、〈改正に必要な多数を得るために手段を選ばず、裏で政治ゴロを使って買収、脅迫といったえげつないやり方で民主党議員を切り崩していく。政策の実現のためには汚いことも平気でやってのけるタフさこそ、この映画におけるリンカーンの政治的力量発揮場面なのである〉という評価を行っています。その上で、〈翻って我が国。憲法を改正しようとするのなら、それが難しいといってハードルを下げるために改憲手続をいじろうとするなどはいかにも姑息だ。本当に命懸けで憲法を変えようというのなら、議会の三分の二の賛成が必要とあらばそれだけの多数を獲得する政治力を持つ努力をこそすべきではないのか〉と述べています。
私が無知なためか、何を言っているのか分かりません。だって、素直に読めば、正規に取り得る手順は姑息だから止めて、買収や脅迫の方を採用しろって言っているわけですよ。正気なんでしょうか?
私ごとき政治の素人でも、ハードルを下げるのは硬性憲法の理念に反するとか、現在の憲法については改憲ではなく廃憲が相応しいとか、もっとマシな意見を思いつきますよ・・・。
<安倍経綸のトリレンマ>西部邁
論理的にアベノミクスについて分析を行っており、素晴らしい意見だと思います。特に、〈短期金利が下落するかわりに長期金利の上昇(国債価格の下落)が進むせいもあって国内の民間投資需要にして不活発になるならば、インタゲ政策によって増えた投資資金は、外国の証券市場に向かったり、後発国の低賃金を求めて外国への直接投資に使われるということだ。経済のグローバライゼーションにたいして、「国債資本移動への取引税」というような形での規制を施さないかぎり、この資本流出は不可避であろう〉という意見は秀逸です。「国債資本移動への取引税」については、反対意見も多いでしょうが、私は検討に値すると思います。
また、〈「脱戦後」は「脱近代主義」のことにほかならぬと肝に銘じないかぎり、日本国家論が成り立つわけもない〉という意見も、その通りだと思います。
ニューケインジアンパラダイムを支持する伊藤貫さんが、財政政策に懐疑的なのは理解できますが・・・・・
代替案が酷過ぎますね。
ゆたろ君。コメントありがとう。
伊藤貫さんの国際関係論の本は素晴らしいと思うんだけど、経済のことになると、あんまり信用しない方が良いのかな?
古典派・新古典派・オーストリア学派・ケインズ学派・合理的期待派・マネタリスト・ニュー・ケインジアンなど、何か色々と派閥があるみたいだけど、どう違うのかな?
こんどブログで書いてみようかと思います!