本書は、西部邁さんの1999年刊行の単行本『福澤諭吉:その武士道と愛国心』の文庫版です。単行本を持っていながら、この文庫版も買う自分も自分だと思います(笑)
本書では、特に戦後において歪められていた福澤諭吉像が、適切に修正されていきます。文庫版では、西部さんの弟子である中野剛志さんの解説があり、それも本書にさらなる価値を付加しています。
本書の内容およびその解説から、ほとんどの人が気づかなかった論点を示してみたいと思います。
まず西部さんは、〈私は諭吉の学問的本質は日本で最初の社会学者という点に見出されると考えている(p.72)〉とか、〈「人間交際」は、諭吉にあって、英語のソサイアティあるいは仏語のソシエテの訳語として用いられたものである。彼の実学論を評するに当たって最も重要なのは、彼を日本における最初の社会学者であるとみる視点ではないのか(p.181)〉と述べています。諭吉の実学の姿勢が、日本初の社会学者という考え方につながっているわけです。その実学については、例えば、〈『学問のすゝめ』の締め括りの言葉は、「人にして人を毛嫌ひするなかれ」ということになる。繰り返すが、これが「実学」なるものの精髄なのである。言葉による交際圏を広さにおいても深さにおいても大きくしていくのに貢献できる学問、それが諭吉にあって実学とよばれていた(p.190)〉とあります。この視点は、本書における数少ない欠点だと思われます。
なぜなら、江戸の日本思想史を少しでも眺めた者にとっては、江戸の経世論が社会学を含むことは常識だからです。「経世」とは「経世済民」のことで、現代でいう政治学・経済学・社会学を含んでいるのは、江戸の思想史の本をいくつか読めば分かることです。西部自身が、p.203において、〈諭吉と常朝との呼応〉を示しておきながら、山本常朝を差し置いて、諭吉を最初の社会学者としてしまうのはさすがに無理があります。山本常朝や伊藤人斎や荻生徂徠は社会学を論じていないけど、福澤諭吉は社会学を論じているという論理的な根拠を示すことは、さすがに無理だと思います。
中野さんは、『日本思想史新論』を書いたこともあり、p.225で、〈本書には、福澤を理解するための秘訣がいくつも示されている〉と述べ、〈第一の秘訣は、福澤を社会学者とみなすというものである〉と語っています。諭吉を日本で最初の社会学者とするのではなく、社会学者(の一人)としてみなすことで、さりげなくフォローしているわけです。このフォローが意図的なのか、無意識的に書いたことが、本書の構成的にたまたまフォローになっているのかは分かりません。しかし、中野さんは、〈世評では、西部先生が伝統の保守を説きながら、いわゆる日本思想に言及することが少なく、もっぱら西洋思想を参照することを批判する向きがある(p.229)〉ことについても反論し、師匠を擁護しています。
この流れは、素敵な師弟関係だと素直に思います。師匠の残した知識の上に立って、弟子が適切に知識の追加・修正を行っているわけですから。
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