『表現者51』

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 表現者51の特集は、<保守による「保護主義」のすすめ>です。リーマンショック後の世界を生きているわけですから、どこかの首相みたいに自由競争主義の亡霊と化していない限り、保護主義の必要性は小学生にだって分かる話なのですよね。そのため、特集座談会の<「自由貿易」が日本を滅ぼす>も、そりゃそうだろうという感じで読めました。
 個別の論文でも、その当たり前のことが的確に語られています。佐伯啓思氏は、〈保護主義の方がまずは基本にあるべきなのだ。一般論としていえば、自由競争主義と保護主義の間のバランスもしくは組み合わせこそが経済戦略といわねばならない〉と述べています。柴山桂太氏は、〈必要なのは、市場競争と社会保護をバランスさせる智恵を、国内的にも国際的にも取り戻すことだ。そのためにも、まずは保護主義のタブーを打ち破らなければならない〉と述べています。中野剛志氏は、〈保守主義者は、保護主義者だったのである〉と述べています。どの意見も、もっともです。

 あと、もう一つの座談会<明治の精神>で、少し気になったことがあります。それは、西部邁氏が、〈佐伯先生と僕の間に深いのか浅いのかはともかく溝があって〉と述べておられる箇所です。私には、『表現者48』の座談会<「無」について>を振り返ってみても、お二人の間の溝はとても深いのではないかと感じられるのです。その溝を感じるとき、悲しみではなく哀しみの感情が浮かび上がってくるのです。
 その溝にも関係してきますが、佐伯啓思氏が、〈「敗北の美学」みたいなものですね。それに影響されたのは特攻なんです。ただそうなると厄介なことに、それを「保守」と言えるのか分からない〉と述べている箇所があるのですよね。この「保守」では捉えきれない何かが、その溝の一部に関わってきているように私には思えてならないのです。もちろん、溝に潜む何かは、それだけではないと思いますが。
 この溝に潜む何かは、佐伯氏の今後の著作によって暗示されてくるのだと思われます。

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