『貨幣と銀行 貨幣理論の再検討(日本経済評論社)』服部茂幸

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 本書は、貨幣供給の内生説という考え方に立って議論が進められています。気になる記述についてコメントしてみます。


<p.15>
 経済の世界、特に金融の世界には期待の自己実現がしばしば見られる。例えば、株価や為替レートについて、合理的な根拠がなくても、多くの買い手がある株やある通貨の価格上昇を信じて購入すると実際に上昇する。国民の多くが、合理的なメカニズムがなくても、量的緩和政策がインフレをもたらすと信じれば、インフレが起こるかもしれない。もっともこの場合、インフレ期待の起点は何であってもいいのであり、なぜ量的緩和政策なのかを理論的に説明することはできないであろう。

→これは、確かにその通りですね。
 ここで気になる点は、内生説の観点から、どのように期待を生むことができるかということですね。より整合性の高い理論が、より高い期待を生むとは限らないということに注意しておくことが必要だと思います。もちろん、整合性の高い理論によって高い期待を生むことは可能ですが、そこにはいくつかの難しい問題があるわけですね。


<p.42>
 我々はマネタリーベースの増減はマネーサプライの増減と必ずしも対応しないと考える。したがって、我々の主張する貨幣の内生性は中央銀行の政策に依存しない。

→そのような定義をおけば、その通りになるとは思います。
 例えば、マネタリーベースの増減が、銀行の貸出の積極性に影響を及ぼすと想定するのなら、多少は依存すると思われます。そして、その影響を無視してよいかは、無視し得ない論点だと思われるのです。


 本書の<p.50>の記述は、私には不可解に感じられました。まず、〈現在の日本で通常用いられる貨幣指標はM2+CDである。M2+CDの90%以上は銀行預金である〉という客観的な状況が示されます。その上で著者は、〈実際には貨幣とは銀行預金を意味する〉と述べているのです。ここの貨幣の意味づけは、さすがにまずいでしょう。
 この意味づけの上で著者は、バーナンキが現代の貨幣システムを不換紙幣システムと見なしている点を批判しています。まあ、バーナンキが非難されるべきだとは思いますが、議論の進め方として、ちょっとどうかなと感じてしまいました。その批判に、〈ここに理論と現実の乖離が見られるであろう〉という文言があれば、なおさらです。


<p.86>
 「すべてがすべてに依存する」というのは抽象的には正しいかもしれない。しかし、実際の計量モデル、特に小型モデルではすべての変数を入れることはできない。また独立変数の間に相関関係がある場合には、変数を増加させれば、モデルの精度が上昇するというものでもない。そこで変数の選択が重要になる。しかし、従来の貨幣乗数の決定モデルではマネタリーベース増加率という決定的な変数を除外してきた。しかも、そのことによってデフレや景気といったそれ事態は影響を持たない変数を重要であるかのごとく錯覚させたのである。

→う~ん。モデルにマネタリーベース増加率という変数が必要という主張だけなら、同意できます。しかし、デフレや景気という変数を影響がないと見なすのは、どうなのでしょうか・・・。私には、同意できませんでした。

 

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