本書は、ナショナリズムについて、ネイションそのものの分析に集中して論じています。丁寧に論じられていて、ナショナリズムやネイションについて知るための良書だと思います。大筋は賛成できるのですが、いくつか疑問に思った点について述べておきます。
<p.14~15>
ネイションというのは透明な空っぽの袋のようなものです。ここにさまざまなものが詰め込まれて、初めてネイションには独自の色が出てきます。
<p.261>
ネイションの強みは、それが透明で空っぽの袋のようなものを提供してくれるところにあります。ネイションを手渡されれば、そこに人間は、いろいろなものを詰め込むことができるのです。
→ ここには、少し違和感を覚えました。この書き方ですと、最初に袋があって、その袋の中にポイポイといろいろなものを詰め込むイメージが浮かんでしまいます。
むしろ、いろいろな要素が混じり合って、(袋というか皮膚というか)領域的政治的な境界線が引かれていくことで、ネイションが形成され続けているといったイメージが合っているような気がします。
<p.16~17>
ネイションに共通するのは、とりあえず以下の三点です。ネイションとして形成される形は、関係者の自明性への欲求を吸収しつつ、実際には歴史の中で変化していくものであること。その形成される単位には、大きく分けて人間集団単位と地域単位があること。そしてその形成に際しては、形成される単位をめぐるせめぎ合い、ネイション以外の何かとのせめぎ合いがよくあることです。
→ 人間集団単位と地域単位とに分けるというのが、よく分かりませんでした。人間集団という要素と地域という要素が合わさっているとして、どちらかの比重が高い場合があるなどのような言い方をすることで、分けてしまわない方がよかったように思うわけです。p.36~37のネイションの定義からして、そうしておいた方が議論の道筋が混乱しなかったように思えるのです。
例えば、p.11で〈イスラーム・ナショナリズムとは呼べない〉ということが述べられていますが、それはネイションが人間集団と地域が合わさったものであるからだと思うわけです。人間集団単位によるネイションという考え方をすると、イスラーム・ナショナリズムもありなように思えてしまうからです。
p.194~195では、〈どちらかが目立つ場合にも、もう一方の特徴が入り込み、絡み合っているのが普通なのです〉と述べられていますので、はじめから分けずに論じてもらった方が(少なくとも私は)混乱しなかったです。
<p.277~278>
われわれの暮らす現在は、人間集団と地域と政治的仕組みがネイション化している現在です。そしてネイションの数だけネイションへのこだわりがあり、それらが複雑に関わり合っています。このこだわりは世界を各地で揺り動かし、人間を右往左往させています。しかしナショナリズムは、あくまでも人間が作るものであり、人間が生み出してきたものです。それゆえ、人間が善く育てねばならないものではないかと、わたしは思います。
→ 人間が生み出したものだから、人間が善く育てねばならないという理由がよく分かりませんでした。人間が生み出したもので、さっさと排除した方がよいものもたくさんあるからです。ネイションを肯定するための理由は、他の根拠を必要とするように思われるのです。
ちなみに、p.67の「ドイツの形の変化」の図は一見の価値ありです。特に日本人にとっては、国家の領域がこれほど変化するというのは衝撃的に感じられると思います。
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