『発言者56』

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 本号は、ツッコミどころが多かったような気がします。お金を出して購入したので、面倒くさかったのですが、きちんとツッコんでおきます。


 まず、150ページ以上も離れているので見逃しがちな点を指摘しておきます。

 p.176で、クライン孝子氏が〈自国を正当化するために、符牒を合わせることにかけては、天才的な手腕を発揮する米国である。即座に、原爆投下の理由を「一国も早く戦争を終わらせるためだった」といいぬけた〉ことを指摘しています。痛快ですね。

 それでですね、p.011で榊原英資氏が、〈広島や長崎に原子爆弾を投下したことは許されない戦争犯罪ではあったが、アメリカ側がそれをしなければ、本土での激しい戦いが行われ、多くの犠牲者が出ることを怖れたとしても不思議ではない〉と述べています。

 どうせなら、クライン孝子氏の論稿のすぐ後に、榊原氏の論稿を載せておく構成にしておけば分かりやすかったのに。構成が不親切ですね(笑)。


 次に、座談会「集団的自衛権とは何か」p.055における東谷氏と西部氏の会話を示しておきます。

東谷 パール判事の話で言うと、誠実な法律家として戦ったパールは偉いとか、日本無罪論を唱えた偉人とか言っている。ああいう話をする人たちが未だにいますが、ほとんど救いようがない。彼はある意味でもっと野心的で、実は、政治的戦いを仕掛けていったわけですね。長期に植民地化されたインドの、しかも下層階級出身の政治的な戦いとして読み解かなければ、パール判事の面白さ、本当の偉さは分からない。

西部 しかももっと極論すると、日本のことなんかどうでもよくて、パールは要するにイギリスと戦わなければいけなかった。


 この東谷氏の判定基準によると、私は救いようがない人になります。
 パールの名誉のために言っておきます。まず、パールが東京裁判判事になったのは、自ら望んだからではありません。当時のインド政府は、連合国の一員として判事を送ることが重要でした。しかし、候補者複数に断られており、そのときたまたま引き受けたのがパールだっただけです。そのような状況だったため、パールは開廷から2週間遅れで赴任しています。
 裁判中に妻の危篤の電報が届くと、パールは一旦インドに帰国します。妻の病状の重さを知ったパールは、判事を辞して妻のそばにいようと決心します。しかし、パールの妻は「あなた自身と日本人のために帰るべきだ」と言い続けたのです。パールは後に、「逆に重病の妻から励まされ、いや追い出されたといえるかもしれませんが、私は再び日本にとって返しました」と語っています。


 最後は、藤井聡氏の「戦う以前にウソを見抜け」についてです。藤井氏は、『男たちの大和』や『永遠の0』に批判的です。その批判の論理がものすごかったので、ちょっと紹介してみます。まず『男たちの大和』で、兵士達が自分達の特攻死は犬死ではないか問うことを、『葉隠』の〈犬死か否かを問うことそれ自身を下らない戯れ言〉という論理を持ち出して批判するのです。すさまじいですね。私にはそんなこと、とても言えませんからね。三島由紀夫が言うなら、筋は通りますけどね。
 ちなみに、私も『葉隠』は好きですが、その内容を持ち出して他者を批判することは慎むべきだと考えています。『葉隠』の内容は、自身の人生を賭けて他者へ示すべきものだからです。
 『永遠の0』についても、〈戦争という国家の命運を分ける戦いの中における妻子への愛情という「生に向かう私的な欲望」を描いた『永遠の0』においても、同様の構造を見いだすことができる〉と切り捨てています。妻子への愛情から生を願うことを「私的な欲望」と言ってしまう言語センスは、残念ながら私には理解しかねるものです。そもそも、妻子のために生を願いながらも、最期に特攻を選んだことがこの作品の妙味なわけです(最後まで生き残って妻子と再会していたら、ここまでの傑作にはなっていないはずです)。そこの謎に触れた者は、私的に見えたものが公的なものに基づいていたことに気づくはずですが、どうやら藤井氏と私とでは、『永遠の0』からまったく違うことを読み取ったようです。


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