今号の特集は、「資本主義の砂漠 ピケティ現象もその一角」です。
主に、ピケティの『21世紀の資本』に対する言及が多くみられます。今号も、気になった記事にコメントしていきます。
<座談会 保守思想が問う、ピケティ現象>
西部邁氏の発言に違和感を覚えました。26ページでは、〈僕はピケティの本を詳しくは読んでいないので明確には分かりませんが〉と述べながら、44ページでは〈こうなってくると僕も乱暴な言葉になってきますが、やっぱりトマ・ピケティは不真面目な人じゃないかなと思ってしまう〉と言い出します。さらに51ページでは、〈格差反対だけで分厚い本を書かれたら、私は何とか読みましたが、本心は、読む気が起こらない(笑)〉と言い出す始末です。自己宣告からは読んだのか読んでいないのは不明瞭ですが、座談会の発言内容から判断するなら、明らかにきちんと読んではいないと思われます。
<資本主義ニヒリズムを越えて>富岡幸一郎
いずれにしても、ピケティの主張は資本主義社会の矛盾を突いている、という程度の次元で日本でも話題となったに過ぎない。グローバリズムへの本質的な批判や自由貿易がもたらす弊害などへの課題は外されており、不平等という感覚に訴え、人間のルサンチマンを掻き立てるという意味で人気を博したのである。
→ 富岡氏に限りませんが、とりあえずピケティの功績をほとんど無視し、無理矢理におとしめるような記事が散見されたのは残念です。ルサンチマンを持ち出す者には、ニーチェその人がその典型ですが、同族嫌悪の可能性を指摘することができます。
<ピケティ騒動の意味するもの>佐伯啓思
→ 質の高い議論が展開されています。ピケティの見解に同意できる箇所を明確化した上で、その問題点が指摘されています。ピケティの議論を読み込んで、的確に理解した上で発言していることが分かります。
<民主主義は資本主義を救いうるか?>柴山桂太
ピケティが資本主義の格差拡大を問題視するのは、それが「金持ち中心の政治」を復活させ、デモクラシーの原理を脅かすと考えるからである。だが、それは杞憂というものではないか。現代のデモクラシーは、親の財産で遊んで暮らす人々の存在を、決して許しはしない。
→ そうでしょうか?
確かにデモクラシーには、その傾向性が内包されているでしょう。しかし、それにも関わらず、現在のデモクラシー国家アメリカがそうであるように、「金持ち中心の政治」がまかり通ることは可能でしょう。そして、その可能性に危機感を持つことも必要でしょう。世の中の複雑さ故に、それを杞憂と言ってしまうことは危険だと思われます。
<ピケティのEUナショナリズム>東谷暁
この本が英語版でも「ユーロ」単位で押し切っていることがからしても、ピケティはアメリカが自分の提案を呑むなどと思っていないし、彼の説得の対象はヨーロッパ、それもフランスを中心とする大陸ヨーロッパであることは明らかだ。
→ 佐伯氏の記事と並んで、今号で重要なもう一つの記事です。他の安易なピケティ批判にはない観点が、この記事には示されています。
さて、今号はピケティについて多くの原稿で言及されていますが、佐伯氏と東谷氏の記事がずば抜けて秀逸だったと述べておきます。
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