今号で『表現者』の第一期が終わり、次号から第二期の『表現者criterion』が始まるそうです。嘘ではありませんよ(笑)。
『表現者criterion』って、漢字とアルファベットの組み合わせで、個人的には悪い方向の中二病って感じがします。雑誌の題名としてどうなのでしょうね? criterion(クライテリオン)の意味が分からない人は手に取らないでしょうし、「基準」という意味だと分かったとしても、「表現者・基準」というものの意図が伝わりにくいと思いますし...。
今後の『表現者criterion』が成功するかどうかは未知数ですが、前途はかなり厳しいのではないかと思われます。なぜなら、現在の「表現者」執筆陣の原稿を読んでみても、西部邁流の大衆批判を悪い意味で引き継いでいる人たちばかりだと感じられるからです。日本を良くするためというよりも、自分が居張りたいだけの人たちばかりだと感じられるのです。
西部の大衆批判については、うなずけるところもあれば、否定的にならざるを得ないところもありました。しかし、そこには敬意を表さざるを得ないものがありました。それは、西部が自身の不利益を顧みずに大衆批判をしていたところです。東大駒場騒動で東大を辞め、イラク戦争で自身の読者を減らすことを覚悟でアメリカ批判を行ったからです。自身の不利益を覚悟した言説に、西部邁が本物である証(あかし)がありました。
安易に大衆批判を繰り広げる弟子たちに、その覚悟があるのかというと、彼らの実際の実践から、あまり感じられないというのが正直なところです。
また、西部の大衆批判が成功したと言えないのなら、戦略的に言説の修正や改正が必要になるはずです。
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