『経済倫理学序説』西部邁

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 題名からは分かりにくいですが、ケインズとウェブレンの評伝です。

いる。エピローグでは、今後に著者が取り組むことになる大衆についての定義が出ています。

けっきょく、私の下してみたい大衆の定義は、「自らの参与している大衆社会の神話性を感得し解釈する努力をなおざりにする人」ということになる。


 著者の大衆論も、微妙な変遷を経ていくことになります。そこには、うなずける論点もあれば、首を傾げざるを得ない論点もあります。ただ、著者が自身のリスクを顧みずに取り組んだということは言えますので、そこには敬意が生じるのです。

 問題は、むしろ彼の弟子筋でしょう。師匠が切り開いた険しい道を、舗装されてから偉そうに歩いている者たちが散見されます。そこには注意が必要でしょう。

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