『大衆への反逆』西部邁

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 オルテガの『大衆の反逆』のオマージュ的な作品というか、著者の対・大衆戦への狼煙とも言える著作です。本書では、大衆が次のように定義づけられています。


ここで大衆の概念を定義し直すならば、「大衆とは自らの語り演じている大衆産業主義および大衆民主主義の神話性を、商品についてであれ、計画についてであれ、習俗についてであれ、はたまた知識についてであれ、感覚的および論理的に自覚することのできない人、または自覚への努力を放棄する人」ということになろう。



 本書のおいて著者は、産業主義と民主主義という二様の価値について懐疑を進めていくことになります。

 ちなみに、「文春学藝ライブラリー版あとがき」では、次のような記述があります。


ただ、今にして思うのだが、私はネオロジズム(新語愛好癖)にたいする自分の嫌悪を押し殺して、マスマンに「大量人」という新語を当てがっておくべきだったかもしれない。というのも、オルテガの驥尾に付して私がモダン・エイジ(近代)に反逆したいと考えたのは、「最の時」にたいする反発という直情に発してのことではなく、モダンであることの本質としての、またその語の語源的な意味としての、「単純なモデル(模型)が大量のモード(流行)となる」という近代二百年余の休みなき過程にたいして、価値論からも認識論からも、さらに人生観にあっても時代観にあっても甚だしい違和を覚えたからなのであった。



 ここで、マスに対する訳語の検討は、かなり重要なところです。私がどこかで、いわゆる大衆論について言及するときには、改めて検討をしておく必要があるでしょう。

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