『闘論 息子の教育』西部邁・三田誠広

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 西部邁と三田誠広の共著です。西部のセリフで、ちょっと印象に残ったところを引用してみましょう。


 こういうことはありませんかね。つまり、「独創性」の基盤ですけれども、紋切り型で言えば、ある種の矛盾感覚のようなもののなかから生まれ出てくることがあります。つまり、親は、人生とは矛盾多きものなので、たとえば、「学校の先生の言うことを聞くことは大切なことなのだ」と教える半面、「どうしても気に入らなければ、学校の先生に逆らってもいいのだ」と教えてもいいのじゃないかな。そういうさまざまな矛盾的言説を親が意識的にやると、子供は自分なりの意見とか生き方を模索するようになる場合もある。場合もあると言ったのは、へたな表現の仕方をすると、「うちの親父はなにを言いたいのかさっぱり理解できない」と見放されてしまうからです。




 これは、なかなかに面白い表現だと思います。これを矛盾とみることも、もちろんできますが、矛盾ではなく筋のとおった意見だとも言えると思うのです。例えば私なら、まともな先生の言うことは聞いて、まともじゃない先生の言うことはほどほどに聞いておけ、と言うでしょう。そして、どう考えても筋の通っていない先生の意見は、俺に相談しろ、と。親として、こういったことは子供に言っておきたいですよね。



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