『表現者クライテリオン 2018年 07月号 雑誌』のAmazonレビューで、赤星快人という人物が言いがかりを付けてきました。
**********************************************************************
上記のコメントは、そもそも藤井氏が柴山氏と共に表現者と全く関係のない雑誌を立ち上げようとしたところ、西部氏が表現者の跡継ぎを打診してきたという事実を無視しています。また、クライテリオン7月号において未だに西部氏を主題とした記事を書いているのは佐藤・富岡両氏のみです。
また、この人物は創刊号に対するコメントで浜崎氏の「現代人は愛しうるか」という記事のタイトルを、浜崎氏自身の精神的欠陥からくる世迷い事であるかのように書いていますが、実際にはこのタイトルはD・H・ロレンスの黙示録論を福田恆存が和訳し邦題を付けた時のものであるという事が記事の中で紹介されています。
つまりこの人物は結論を先に決めつけてから論評しており、中身の精査などしていません。
まあ、西部氏の自殺の後もこういう態度を取り続けている人の限界だと思います。
**********************************************************************
ちなみに、浜崎さんへの批判は↓で書いています。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2WQVMJH3CM46E/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B0788XV9YG
まあ、喧嘩を売られているわけで、次のように反論しました。
**********************************************************************
赤星快人さん、コメントありがとうございます。
コメントいただいていることに気付かず、別の方に指摘されてからの回答となってしまい申し訳ありません。
赤星さんは藤井聡さんの塾の生徒さんですよね?
(FBで「友達」になっているのも知っています)
さて、赤星さんのコメントですが、よくぞここまで異常なことを書けるなと感心いたしました。
以下、批判していきます。
>上記のコメントは、そもそも藤井氏が柴山氏と共に
>表現者と全く関係のない雑誌を立ち上げようとしたところ、
>西部氏が表現者の跡継ぎを打診してきたという事実を無視しています。
ここの文章で、「西部氏が表現者の跡継ぎを打診してきた」という箇所は、『表現者76』の文章から知っています。しかし、「そもそも藤井氏が柴山氏と共に表現者と全く関係のない雑誌を立ち上げようとした」という箇所については、私は知りませんでした。ここのソースについて、どの雑誌の何ページのどのような文章か明記して教えてください。
また、仮に私がその事実を知っていたとしても、私が書いた文章を修正する余地は見出せません。「跡継ぎを打診してきた」からといって、打診者に対して、筋の通らない批判を行う権利は誰にもないからです。(筋の通った批判はもちろんありですが)
ここは常識の問題です。私と赤星さんのどちらに常識があるか、ここを見ている方それぞれに判断していただければ幸いです。
>また、この人物は創刊号に対するコメントで
>浜崎氏の「現代人は愛しうるか」という記事のタイトルを、
>浜崎氏自身の精神的欠陥からくる世迷い事であるかのように書いていますが、
>実際にはこのタイトルはD・H・ロレンスの黙示録論を福田恆存が和訳し
>邦題を付けた時のものであるという事が記事の中で紹介されています。
私の書いていることの内容を改ざんして批判することは止めてください。
『表現者クライテリオン 2018年 03 月号』の101頁に、たしかに「福田が、その「絶望」からの救いを説くD・H・ロレンスの『黙示録論』(邦訳は『現代人は愛しうるか』)の翻訳に取り掛かっていた」という記述があります。しかし、私が批判した箇所は、「現代人は愛しうるか」という文章ではなく、「「自殺」か「全体主義」しか選択肢を残していないかに見える現代の大衆社会のなかで、果たして、人が人を愛しうるための「クライテリオン」とは何なのか」という文章の方です。
こちらの文章の批判については、105頁で浜崎さんが「果たして、近代の果てに辿り着いたこの大衆社会によって、文字通りの「自殺」と「全体主義」のニヒリズムに侵され始めている戦後日本において、福田恒存の言葉は、「神を喪失した現代にひとつの指標をしめすもの」ではあるまいか。」と書いています。
赤星さんは、私が批判した箇所をすりかえ、すりかえたところがロレンスの『邦題』だというおかしな詐術を使っているだけですね。
ちなみに、仮に私が批判した箇所の文章がロレンスの『邦題』だったとしても、それを自分の論稿の中で使用して論じているのなら、その批判に対する弁明責任は、ロレンスではなく論者(ここでは浜崎さん)にあることは明確です。
赤星さんは、二重に異常な論理を展開しているわけです。
>つまりこの人物は結論を先に決めつけてから論評しており、
>中身の精査などしていません。
私は中身をきちんと読んだうえで批判しています。他人の文章の意図をねじまげているのは赤星さんの方です。繰り返しになりますが、私と赤星さんのどちらに分があるかは、ここを読んでくれている方に判断していただけると幸いです。
>まあ、西部氏の自殺の後もこういう態度を取り続けている人の限界だと思います。
(笑)
それなら私からも言わせてもらいますが、藤井聡先生をたたえる赤星さんの異常な言論には笑わせていただきました。
今後、赤星さんより誠実な回答や対応がなされなければ、私から正当な権利を行使させていただきます。
**********************************************************************
おかしな人もいるものですね(笑)
この赤星快人という人は、Amazonでは↓のような感想を書いている人ですね。
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AFMNRTGK3BQLPKSFISUCWAS5WYLQ/ref=cm_cr_getc_d_pdp?ie=UTF8
Facebookは↓ですね。
https://www.facebook.com/hikanore
こんなことも書いているようです(笑)。さて、どうしたものかな(笑)?
https://www.facebook.com/hikanore/posts/2509840779240252
コメントする