2012年1月アーカイブ

 『反・幸福論』。この題名からして素晴らしいですね。日本思想に馴染んだ者は、安易に幸福論などは書けなくなるのです。ですから、書くとしたら、反・幸福論になるのです。
 書かれている内容も、重要な論点がたくさん論じられているので、是非読んでみてください。各論点について、ほとんど反論はないのですが、私と佐伯さんで感じ方が大きく異なっている箇所を2点ほど挙げておきます。
 一つ目は、第三章の〈人は"姥捨て"から進歩したか〉という節です。佐伯さんは〈姥捨てを悲惨だ、凄惨だ、人権無視だといって非難するほど、われわれが進歩したわけでもなんでもない、ということなのです。〉と述べています。しかし私は、進歩していないとかいうレベルでは収まらない、大きな大きな相違をそこに見てしまうのです。『楢山節考』の辰平とおりん婆さんの振る舞いに対し、私はそこに、人間の魂の最も偉大なあり方の一つを見てしまうのです。それに対し、現代の〈病院のベッドでチューブ人間〉には、もはや人間の魂を感じることができないのです。人間の精神の可能性において、最も偉大なものと、最も歪(いびつ)で醜悪なものの対比を見てしまうのです。おそらく、そのように見てしまうのは、私がおかしいからと他者からは指摘されるのでしょう。しかし、私はそう感じてしまうのです。
 二つ目は、第六章の宮沢賢治の「無声慟哭」の解釈についてです。佐伯さんは「無声慟哭」に対し、地震の被災者ときわめて近いものを感じていますが、私にはそうは思えませんでした。というより、「無声慟哭」の内実については、菅原千恵子さんの『宮沢賢治の青春(角川文庫)』の解釈が正しいと思うのです。簡単に言うと、賢治の影響によって法華経を信じて死んだ妹と、もはや法華経を信じ切れない賢治自身の心の相違が葛藤となり、「無声慟哭」にあらわれている、と考えられるのです。もちろん、被災者と通じるところもあるとは思いますが・・・。
 以上の2点以外は、大筋で同意できました。安易な幸福論など読むくらいなら、この『反・幸福論』を読むことをお勧めします。
 『文明の宿命』は、保守派の論客が3・11後の状況について論じた本です。主に、原発問題を中心に語られています。
 第1部は、国家についてであり、第2部は、危機をめぐってであり、第3部は、「人間の生」にかんしてです。ですが、はっきり言ってしまえば、第1部と第2部は、「反・脱原発論」を延々と述べているだけです。
 「反・脱原発論」の論理については、正直言ってがっかりです。一つ論拠を言うと、原発が戦争で攻撃の標的にされたり、テロの標的にさらされるという確率計算できないクライシスの問題について、「反・脱原発論」を唱える論者が語っていないのです。
 脱原発論者を批判している論考がありますが、その脱原発論者の書いている本を読んだなら、「反・脱原発論」者が、意図的に、「反・脱原発論」に都合が悪いから、戦争やテロの問題を論じていないのだと言わざるをえません。例えば、戦争やテロの問題を考慮すれば、自動車問題と原発問題を同列に並べて論じることは不可能です。
 この戦争やテロの可能性について唯一論じているのは、第3部の柴山さんです。それゆえ柴山さんは、「反・脱原発論」を展開せずに、原発を超えた電気の問題を論じています。非常にうまいなぁ・・・と思いますね。
 本書は、やはり第3部です。論理的および保守思想的に、検討に値すると思います。
 ちなみに私は、日本が脱原発に向かおうが、原発推進に向かおうが、得も損もしません。ですから、日本の子孫のために、論理的に筋が通った意見に従うだけです。本書を読んでみて、「反・脱原発論」には賛成できませんでした。

 中野剛志さんと柴山桂太さんの『グローバル恐慌の真相(集英社新書)』を読みました。若手で確かな実力に基づいた二人の会話形式で進み、現在のグローバリズムに対する鋭く正確な分析がなされていて大変参考になります。
 ただ、批判するつもりはないのですが、中野剛志さんの発言で間違っている箇所は指摘しておきます。

<54~55ページ>
 多分ハイエクは、日本的経営こそが自制的な秩序、スポンテニアス・オーダーであって、真の個人主義の基礎であると言ったに違いない。

→ハイエクは『隷従への道』において、〈自由主義的立場の真髄はすべての特権の否定である〉と宣言し、〈イギリスやアメリカをして自由と公正、寛大と独立の国とした伝統に対する揺るがぬ信念〉を掲げています。『自由の条件』では、〈われわれの文明を変化させている思想はいかなる国境をも考慮しないという事実〉を言い、『法と立法と自由』では、〈全人類を単一の社会に統合できるような普遍的な平和的秩序にわれわれが近づくことができるのは、正しい行動ルールを他の人びとすべてとの関係にまで拡張し、普遍的に適用することができないルールからその義務的性格を取り除くことによる以外にはない〉と述べています。よって、ハイエクが日本的経営を真の個人主義だと言うとは思えません。

<132ページ>
 私に言わせれば、グローバル化に好意的な人間は定義上、左翼ではありません。はっきり言って、反民主主義者じゃないかと思いますよ。

→ナショナリズムに基づいた民主主義者ならグローバリズムには反対しますが、反ナショナリズムの民主主義者なら、グローバル化に好意的になります。民主主義とは、多数参加の多数決なのですから、グローバル化して全人類による多数決を行うのが一番良いと思う人がいてもいいわけです(その意見が幼稚であることは置いておいて)。

 続いて、中野さんの発言で、格好いいなあと思った箇所を以下に挙げておきます。

<82ページ>
 何度も言いますが、私がやりたいのは、将来への投資なんです。「オレのことはいいんだけど、将来の子供たちの生活はどうなるんだよ」ということです。
<99ページ>
 読者のために言っておくと、政治経済学とか経済思想とか、経済学もそうですが、自然科学と違って、知識の蓄積とともに進歩していくんじゃないんですよ。私が思うに、かなり劣化しています(笑)。

 中野さんの発言ばかり取り上げましたが、私が推しておきたいのは柴山桂太さんの方です。柴山さんは『表現者』でもほぼ毎号論考を書いているのですが、書いている内容がほとんど反論できないのです。実に緻密に論理を組み立てているのです。反論できない論理構成の技術という観点から判断すると、日本トップレベルだと思います。