今号の特集は、「取り戻すべき日本とは何か」です。ざっくり言ってしまうと、取り戻すべき日本は、TPPでも新自由主義でも構造改革路線でもないよってことですね。
本号で気になった論点の一つに、プラグマティズムについての考え方があります。
藤井聡さんの『プラグマティズムの作法』という著作について、西部邁さんが〈「役に立つ」ということは、かなり難しいところがあって〉と述べています。特に、デューイのプラグマティズム解釈が、多数の意見の肯定に向かうことの危うさを論じています。
単に論理的な話でしかないのですが、「役に立つ」ということの基準は、「役に立つ」ということそのものからは導き出せないんですよね。何を役に立つと見なすかは、歴史や伝統の制約を受けざるを得ないし、受けるべきなんですよね。
西部さんは、〈(チャールズ・サンダース・パースの表現でいうと)プラグマティシズム(実践主義)においてしか、道義を具体化することはできないのである(p.197,198)〉と述べています。この意見も分からなくはないのですが、少しだけ注意が必要だと思われます。
パースは『概念を明晰にする方法』という論考で、プラグマティズムの格率について述べています。そこでは、〈現存の人類がほろびたのちに、研究の能力と性向をもった他の人類があらわれたとしても、例の真の意見はかれらが究極的に到達する意見でなければならない〉と語られています。パースが「実在概念」を重視していたことにも注意すべきです。『プラグマティズムとは何か』という論考では、〈不必要に形而上学をばかにしたり、嘲ったりはしない。プラグマティシストは形而上学から、有益なエッセンスだけを抽出し、それを宇宙論や物理学の研究に役だたせるのである〉と述べられています。パースの考え方からすると、プラグマティズムの拡大解釈がなされていないか、注意してもしすぎることはないと思います。
ちなみに私は、プラグマティズムの思想家ではパースが一番優れていると考えています。しかし、パースの連続主義における徹底的進化主義の考え方などに嫌悪感を抱いてしまうのですよね。まあ、これは蛇足な意見です。
さて、気になった論考へのコメントをしていきます。
<安倍新政権と公共事業(榊原英資)>
p.011に、〈コンクリートから人へという政治スローガンにそれなりの意味があったことを認めない訳ではありませんが〉とあります。それなりの意味って、何かありましたっけ?
<失われた祖国(三浦小太郎)>
チベット問題について論じられています。〈弾圧と暴力に追い詰められた人々の中で、自由と民主主義といった近代的価値観以上に彼らの精神によみがえったのは、チベットの歴史伝統、ダライラマ法王に象徴される信仰世界の復活を狂おしくも求める心だった(p.015)〉とあります。チベット僧による抗議の焼身自殺は、端的に、現在のこの地球上において、最も偉大な人間行為の一つです。
<保守放談>
〈憲法の名に本当に値するのは、国家の根本規範にかんして国民が共有する「常識」のほうである(p.055)〉と語られています。素晴らしい見解ですね。
<経済の回復から文化の再生へ(富岡幸一郎)>
富岡さんは、〈地域社会におけるボランティア活動(p.058)〉を、〈安倍政権においてぜひ実践していただきたいプランである(p.059)〉と述べています。富岡さんはキリスト教徒なので、こういった意見を述べてもおかしくないですが、キリスト教徒ではない私のような人間には、ボランティア活動につきまとういかがわしさを感じてしまうんですよね。ボランティア活動して自分は良い人間だと思うことより、勉強や部活などを精一杯した方が良いと思うんですよね。
<安倍政権への期待と危惧(佐伯啓思)>
〈大勝した安倍内閣の最大の敵対勢力は、この民主政治の中で醸成される目にみえない大衆的気分という奇妙なものというほかないであろう。強いていえば、それに一定の形を与え、暗黙裡にそれを誘導するマスメディアということになろう(p.063)〉とあります。まったくその通りですね。
<取り戻すほどの日本はありや(中野剛志)>
〈取り戻すべき「日本」は、少なくとも戦後には存在しないのだ(p.083)〉とあります。まったくその通りですね。
<「取り戻せる日本」と「取り戻せない日本」(伊藤貫)>
さすがに論考のレベルが高いです。参考になります。
<レ・ミゼラブル、日系米国情報部員に誑かされた日本帝国(寺脇研)>
う~ん。レ・ミゼラブルは私も見ましたが、傑作だと思いますよ。外国産より国産という意識がかなり高い私ですが、外国産でも良いものは素直に良いと受け止めるべきだと思います。〈ハリウッドの大手ユニバーサル・ピクチャーズが世界的ヒットを狙うこの作品(p.148)〉と述べていますが、批判するなら、具体的な内容について論じてほしいです。