『虚無の構造(中公文庫)』西部邁

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 私は、西部邁の『虚無の構造』を単行本で3回は読みました。文庫本でも、改めて読み返してみました。
 私は本を読んでいるとき、私が重要だと思う箇所に線を引いていくのですが、単行本と文庫本では線を引いた箇所がまったく異なっていました。他の本では、このようなことはあまり起こらないので面白かったです。
 では、なぜ本書では単行本と文庫本で違いが出たのか?
 単行本を読んだ当時の私は学生でしたが、ニヒリズムに対する理解が十分ではなかったため、線を引いた箇所は主に社会学の用語やその説明部分でした。それに対し、文庫本では社会学の用語に対する知識も付いてきたのでそこはスルーし、ニヒリズムについての知識もある程度ついてきたので、ニヒリズムへの言及箇所に線を引くことが多くなったのです。
 ニヒリズムについて、本書ではかなりユニークな定義付けがなされた上で論じられています。その独自のニヒリズムの定義について考えることで、著者の考え方が浮かび上がってくるように感じられました。著者の考え方の志向性を探る上で、本書は重要なヒントを与えてくれるはずです。

 

PS.
 本書についての踏み込んだ考察は、『哲学ごっこ』『西部邁の『虚無の構造』で哲学する。』で行っています。
 ただし、警告でもありお願いでもあるのですが、 西部邁氏のファンの方は絶対に見ないでください。 また、論理的に何が筋が通っているかを、冷静に考えることのできない人も見ないでください。

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