政治的トリレンマで有名なダニ・ロドリック氏の『グローバル・パラドックス』を読んでみました。さすがに論理に説得力がありますね。
本書のトリレンマを簡単に言うと、(1)グローバリゼーション、(2)国家主権、(3)民主主義、のどれか一つを制限しなくちゃいけないよという話です。さらに本書の意図するところを簡単に解説すると、制限すべきは三つの内のグローバリゼーションですよということです。
この本書の提案は、まともな人なら学問的にも良識的にもほとんどの部分が賛成できると思います。賛成できない人は、卑劣か愚劣かに分類できるわけですね。99%が不幸になっても1%の自分が金持ちであれば良いと考えている人とかね。他には、人間の完成可能性を意識的か無意識的かはともかく信じている人とかね。
ロドリック氏は、(1)を制限した状態を〈改善されたグローバリゼーション〉と呼んでいますが、歴史的には「インターナショナリゼーション」と呼ぶべきだと思います。
他に気になった点としては、ロドリック氏が〈自由貿易は世の習いではない。星の巡り合わせがよく、自由貿易を支持する勢力が政治的にも知的側面においても優位にある時にのみ、自由貿易――あるいはそれに近い状態――は実現するのだ〉というところです。間違ってはいませんが、補足説明が必要だと思います。すなわち、政治的にも知的側面においても優位にある勢力は、自由貿易に持ち込めば得をするということです。そのため、その勢力に最低限の道徳心がなければ、当然の成り行きとして自由貿易を主張しだすわけです。星の巡り合わせを持ち出すのは、少し遠慮が過ぎると思われます。
また、日本についても言及がありますね。ブレトンウッズ時代については、〈日本はまたわが道を行き、強い競争力を持つ輸出部門と高度な規制によって保護された伝統経済の共存を選択した〉とあります。明治維新については、〈日本にはよく教育された愛国心のある土着の実業家や商人がおり、さらに重要なことに、一八六八年の明治維新後に成立した政府は、経済の(そして政治の)近代化にひたすら邁進した。明治維新政府が当時西洋の政策決定者に広まっていた自由放任主義に基づいて行動したことは、ほとんどなかった。世界で最初の開発計画と呼ぶことのできる公文書によると、日本の役人たちは、たとえ政府の行動が「個人の自由や投機筋の利益に干渉する」ことになったとしても、経済を発展させる際に国家が果たすべき重要な役割があることを明らかにしていた〉とあります。細かい部分はおいておくとして、こられの分析には敬意を表さざるをえません。
著者がトルコ・イスタンブールに生まれたということと関係があるのかは分かりませんが、〈結局、利益を最大化するために行動する個人は、社会の他の人々に問題をもたらすかもしれないので、選択の自由は制約される必要がある〉と述べている箇所には拍手を送りたいです。〈人々の幅広い支持を受けた国内の慣行が貿易によって脅かされる場合には、必要に応じて国境の壁を厚くすることも、認められるべきなのである〉という箇所も同様です。
PS.
以前に中野剛志さんの『レジーム・チェンジ』の感想を書いたとき、コメントで民主主義が不可避的に国民主義になるという主張をされている方がいて、それは違うと主張したのですが、ロドリック氏のスマートな議論に比べると雑でしたね。
その経緯については、↓の感想とコメントに残っています。
http://nihonshiki.sakura.ne.jp/book/2012/03/post-19.html
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