2014年1月アーカイブ

 『道士郎でござる』のワイド版の第四巻です。最終巻です。

 本巻も、真の主人公である健助が、家来で脇役の道士郎とともに活躍します(笑)

 p.344からのエリタンの台詞はいいですね。


エリタン「いつか・・・、言わなきゃいけないと思ってたんだ・・・」


 健助でなくても、これは泣くわ。

 やっぱり、男は可愛い女の子のために頑張るのです。

 やっぱり時代は、武士と殿だな。


 佐伯啓思さんの著作は、いつも勉強になります。
 気になった箇所にコメントしてみます。

【p.34】
 わたしは「民主主義」という政治体制はたいへん難しいもので大きな欠陥を孕んでいると思っています。「民主主義」がすばらしいものであるなどとまったく思いません。しかし同時にまた、「民主主義」以外の政治体制を現状で採りえるとも思えません。

→ この立場は、現代の保守派に多く見られる見解だと思います。私は、ここに違和感を覚えてしまいます。佐伯さんは、p.68~69で古代ローマの政体を共和主義として論じていますが、この共和主義の方が民主主義よりも良いとしか思えません。私は、古代ローマの政体を共和主義というより混合政体と呼んでおきたいですが、呼び名はともかく、この権力を分散した政治体制は、民主主義より優れているとしか思えないのです。現状でも、権力を分散した政治体制は十分に可能ですし、そうすべきだとしか思えないのです。


【p.52】
 この無理な結合が戦後日本で「空気の支配」を生みだし、それがわれわれの首を締めつけているように思うのです。

→ 日本を論じるときに、この「空気」を持ち出す論法は割とありふれていますが、私はここに落とし穴があると考えています。たとえば、移民政策などでは、特にヨーロッパなどの諸外国が推進して今現在痛い目をみていますが、日本は空気を読まずに保守的だったわけです。都合のよい事例をもってくれば、日本人は「空気の支配」だと言えそうですが、それに対する反例だって山ほどあるわけです。「空気の支配」と言ってしまうことで、隠されてしまう何かがある、と私にはどうしても思われるのです。


【p.70】
 投票権とは権利ですから一種の特権であり、特権をもつには、一定の資格が必要だということになるでしょう。ごく簡単な投票資格試験でも行い、一定レベルに達した者だけが投票できる、というようなことになるのでしょう。そのかわり、この特権をもつ者には、行政などの「公のものごと」への参加も義務付けられるかもしれません。
 もちろん、こんなことを提案すれば袋叩きにあうでしょう。

→ 私は袋叩きにあうのは嫌ですが、これは検討に値すると思います。ただし、現在の日本では、このような制度ではノイジィ・マイノリティが躍進してしまうので、賛成するわけではありません。ただ、取り得る選択肢として、当然ながら議論しておくべきだと思うのです。


【p.110】
 かなり以前に、ある高名な政治学者が、半ば冗談、半ば本気で、「日本の憲法は本当は聖徳太子の十七条憲法でええんや」といったことがあります。今日の憲法学者からすればとんでもない意見でしょう。

→ いや~、素晴らしい意見ですね。私も十七条憲法で良いと思います。十七条憲法って、相当にうまくできています。少なくとも、今現在の日本国憲法よりは遙かに格上ですね。


【p.172】
 「民主主義はなかなか日本には根付かない」などといわれます。それは「日本はタテ型社会で権利意識が弱く、市民が成熟していないからだ」などといわれます。まったく違う、と私には思われます。強いていえば、日本にはキリスト教もギリシャ・ローマの伝統もないのに、民主主義を理想的で普遍的な政治制度とみなしたからだ、といわねばならないのです。

→ 半分賛成で、半分異論があります。異論は、たとえキリスト教とギリシャ・ローマの伝統があったとしても、民主主義なんてろくでもないってことです。現に、ヨーロッパだったら民主主義が素晴らしいと言えるかというと、そんなことはないわけですから。


【p.187~188】
 金融市場で、金融工学を使った多様なリスク管理商品というデリバティブが生み出され、次々と革新的な金融商品が自由に取引されるようになったとしましょう。確かに金融市場の効率性が高まるでしょう。とすれば何が生じるか。銀行は企業に貸し付けてもさしたる金利を手に入れることができないにもかかわらず金融市場で運用すれば数パーセントの利益を得ることができる。こうなれば、銀行はもはや企業へ資金を貸し付けようとはしないでしょう。
 端的にいえば、金融市場を効率化したおかげで、企業は投資資金の調達が難しくなるのです。

→ これは、まったくその通りだと思います。金融市場の効率性には、その暴走を抑制するための法整備の検討が必要だと考えます。


 三橋貴明さんの『僕たちの国家』を読んでみました。
 気になった箇所にコメントしてみます。

【p.58~59】
 我が国は翻訳文化が高度に発達し、大学教育まで自国語で行っています。現実の世界には「自国語」で大学教育を執り行える国は、旧西側先進国を除くと、ほとんどありません。理由は、外国語で書かれた高度な文献を、自国語に訳すことができないためです。結果的に、高校までは母国語で教育を受け、大学などの高等教育は「英語」になってしまう国がほとんどです。

→まったくその通りだと思います。ちなみに、日本語は曖昧だとか言う人っていますよね。そういった人には、「曖昧なのは日本語じゃなくて、あなたの頭ではないのですか?」と言ってやりたいですね。

【p.65】
 もともと、日本には(もちろん中国にも)経済という単語はありませんでした。明治期に外国の語彙、概念を輸入した際に、economyという単語に「経済」という2文字を当てたわけです。

→う~ん。これは間違っていると思います。例えば、江戸中期の儒学者である太宰春台(1680~1747)は、1729年に『経済録』という本を出しています。その中には、「天下国家ヲ治ルヲ経済ト云。世ヲ経シテ民ヲ済フト云義也〉と説明されています。

 あと、p.132~133のナウル共和国の事例は、とても興味深かったです。


  週刊西田一問一答「これぞ西部先生の真骨頂とも言うべき著作を教えて下さい」で、西田さんが西部さんのお勧めの本を紹介していますね。

http://www.youtube.com/watch?v=DlS69uJ-S6s

 私も西部邁さんの本はほとんど読んでいますが、選定が素晴らしいですね。

 『思想の英雄たち』と『知性の構造』と『友情』ですね。

 確かに、この三冊のレベルは尋常じゃないですね。

 私は『知性の構造』が一番好きですね。

 この三冊以外に私なりにお勧めを選ぶなら、『学問』・『西部邁の経済思想入門』・『死生論』・『寓喩としての人生』・『新・学問論』などですかね。

 一方、どう考えても失敗だったのは、『パール判決を問い直す』ですかね。

 まあ、参考までに。