西部邁の死をめぐる、偉大と秀逸とヘッポコと卑劣(1)

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 『正論2018 3』に、「追悼特集 西部邁の死」が掲載されています。佐伯啓思、富岡幸一郎、八木秀次、西尾幹二という順番で4名の追悼原稿が載っています。原稿の良し悪しの順序と、掲載順がぴったり重なっており、なかなかに興味深いです。最初に言ってしまうと、以下の評価になります。



<良い>
 ↑ 佐伯啓思  → 偉大
 | 富岡幸一郎 → 秀逸
 | 八木秀次  → ヘッポコ
 ↓ 西尾幹二  → 卑劣
<悪い>



 単に良し悪しの評価を述べただけでは、不適切であり不十分でしょう。それぞれの原稿に対し、掲載順で評価の根拠を述べてみようと思います。

 まずは、佐伯啓思の『その苛烈で見事な生きざま』という原稿から論じてみましょう。本原稿において、佐伯は西部の死が意図的なものであったことを指摘しています。苛烈で見事な生であり死であったという評価をしています。

 佐伯から見た西部との出会いから付き合いへの情景は、感慨深いものがあります。引用してみましょう。



 先生はまだ三十代の半ば、まったく教師然たる風波は微塵もみせず、いい方は失礼ながら、何か兄貴風であった。その親しみやすさのゆえに、私たち数名の学生は、毎週、雑談をし、濃密な時間を過ごした。そして、私はいま目の前にしているのはとてつもない人物である、という確信を得るのにさしたる時間はかからなかった。



 素直に、羨ましい青春時代だなと思います。かくいう私も、かつて表現者塾へ参加していたことがありました。敬称略で失礼しますが、西部や佐伯と話をし、尊敬すべき人物だと感じたことが思い出されます。良い経験を積ませていただけました。

 佐伯啓思というと、西部にもっとも寄り添った保守主義の弟子といったイメージがあるかもしれませんが、そんな簡単に割り切れる関係でもなかったのでしょう。佐伯の語る西部の保守には、微妙で繊細な感性があふれています。



 時には、西部は保守なのか左翼なのかよくわからん、などという。要するに、西部は自分の味方なのか敵なのか、というわけである。だが、西部邁が保守派であろうとなかろうと、そんなことはどうでもよいことのように私には思われた。



 これは、驚くべき表現です。世間の一般的なイメージでは、西部邁といえば日本の保守主義の重鎮であり、佐伯はその思想を引きついだ忠実な弟子筋だと思われているからです。

 しかし、ここの佐伯の見方は非常に重要です。佐伯啓思という思想家の偉大さが、この表現から分かります。西部邁の他の弟子やファンなどの多くは、西部の権威や、その権威を反映した「保守」を振りかざしているに過ぎないからです。予言しておきますが、西部の死後、彼の保守主義や保守思想を受け継いだと言い張る者たちによって、かなり無残な光景が繰り広げられることになるでしょう。

 佐伯がそういった者たちと違うところは、西部の権威や、保守という言葉の有用性ではなく、あくまで西部の人格を評価している点です。人格を評価しているので、保守だとか、保守ではないとかは、どうでもよいのです。

 この視点に、私はまったく同感です。私は保守主義には欠陥があると思っていますし、西部が保守に限定して語ったことにはうなずけないところが多々ありました。しかし、別に保守でもなくても成り立つ言動は、ほとんどが正しかったと思います。ですから、保守であるかどうかはどうでもよく、非保守の私が、西部邁を人格面から尊敬できたのです。

 塾の後の飲み会で、つまりは酒の席での西部の口の悪さは有名でしょう。世間的に評価の高い人物や、歴史的な人物にいたるまで、西部の口からは忌憚のない批評が表明されていました。その中で、西部が語る佐伯啓思には、特別なものがありました。少なくとも私は、西部が佐伯を悪く言っているのを聞いたことがありませんでした。

 本原稿では、かりにという条件づけで、佐伯からみた西部流保守の神髄が語られています。それは、やはり偉大は偉大を知るといった、見事な表現がなされているのです。



続く

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