3番目の原稿は、八木秀次の『保守を理論化 生き続ける功績と記憶』です。八木は、生前の西部の自死の覚悟を冗談だと思っていたそうです。短い原稿から、3か所を引用してみます。
文中にも自死を仄めかすことが書かれていたが、いつもの冗談だろうと受け止めていた。
狼少年ではないが、そう何度も聞いていると普通は冗談だと思う。が、冗談ではなかった。
振り返れば全てが「死に支度」と言えるのだが、関わった誰もが本当に自死するとは思っていなかった。
これは、けっこう驚くべき告白です。短い追悼原稿の中で繰り返し、西部の死の覚悟を真剣に受け取ってはいなかったと言っているのですから。しかも、八木だけがそう思っていたというのではなく、誰もが本当に自死するとは思っていなかったと書いているのですから、あきれるしかありません。
生前の西部の著作や、本人の立ち振る舞いから判断し、西部の自死の覚悟を冗談だとしか思えなかったような人物がここにいたのです。思想的な人物評価を下すなら、3流以下としか言いようがないでしょう。しかも、西部の自死の覚悟を真剣にうけとった者がいる中で、「誰もが」と言ってしまう水準では、何流といった高尚な言い方すらおこがましく、もはやヘッポコな奴だと言うしかありません。
また、八木は西部との対立点についても言及しています。
イラク戦争以来、アメリカとの付き合いについての考えが対立し、皇位継承についても何度議論しても折り合うことはなかったが、会えば、和やかな会話が成り立った。
イラク戦争では、親米保守と反米保守という対立構造が顕在化し、言論戦が繰り広げられました。要するに、アメリカによるイラク戦争が、侵略的で否定すべきものだという反米保守の筋の通った言論があったのです。西部邁などのごく少数派が、いわゆる反米保守の側から筋の通った言論を展開したのです。その後のイラク戦争の評価をめぐり、当のアメリカや追随したイギリスからも反省の声が出てくる中では、どちらに道理があったかは一目瞭然でしょう。この言論で、へたれた立場しか表明できなかった八木は、やはりヘッポコだとしか言いようがありません。
また、皇位継承について八木は、男系男子による継承の維持を主張しました。その理由として、なんと「Y染色体にある遺伝子は代々男性にしか受け継がれない」という滅茶苦茶な論理展開を持ち出す始末なのです。そんなヘッポコとは、対立するしかないでしょう。それでも和やかな会話が成り立ったということは、西部が紳士的だったということなのでしょう。
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