施 光恒さんの『本当に日本人は流されやすいのか (角川新書)』を読んでみました。一種の日本論(日本人論)として読めると思います。
特に、社会心理学者の北山忍氏などが論じている欧米文化で支配的な「相互独立的自己観」と、日本や東アジアで支配的な「相互協調的自己観」の対比は面白いです。ただ、どこかで似たような分類を聞いたことがある気がして、思い出してみたのですが、西部邁氏の『知性の構造』に類似概念が示されていました。
西部氏は個人主義を「相互的個人主義」と「原子的個人主義」に分け、集団主義を「伸縮的集団主義」と「硬直的集団主義」に分けています。それらをX軸とY軸に分けて、「文明の四類型」(『知性の構造』の73番目の図)を表現しました。そのとき、日本は「伸縮的集団主義」と「相互的個人主義」によって区分けされて表現されるわけです。ちなみに、「伸縮的集団主義」と「原子的個人主義」がアメリカ、「相互的個人主義」と「硬直的集団主義」がロシア、「原子的個人主義」と「硬直的集団主義」がヨーロッパ(ドイツ、イギリス、東欧諸国、フランスでさらなる分割が示される)といった具合です。
こういった北山氏や西部氏のように、おおざっぱにでも区分けしてみることで、気づくことが増えてきて有益だと思われます。もちろん、区分けが簡易すぎて見失う細部もあるであろうことには注意が必要でしょうが。
こういった観点の他にも、施 光恒さんによって興味深い論述が進みます。特に、日本語の特性に基づいた解釈は重要だと思われます。なにせ、未だに〈高度な文化を有した国の中では、日本語は世界でも、最も論理性のない言語の一つである〉(『表現者75』の岸間卓蔵氏の『文芸の土壌問題 近代における日本語の宿命』)などと言ってしまう人がいるくらいですから。質の悪い欧米コンプレックスで日本や日本語を卑下する羽目に陥らないためにも、多角的な視点からの論述を見ることは勉強になります。そういった意味でも、読む価値のある本だと思います。
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