さて、以前に佐藤健志さんの『震災ゴジラ』について感想を書きました↓
http://nihonshiki.sakura.ne.jp/book/2013/10/vnc.html
『震災ゴジラ』については、東田剛さんが感想を述べていますね↓
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/10/09/korekiyo-65/
先週は、消費税について東田さんと同じようなことを考えていて↓
http://nihonshiki.sakura.ne.jp/nikki/2013/10/post-549.html
今週は、感想がかなり異なっていますね。
東田さんのような聡明な方の意見については、同じになっても嬉しいですし、違う考えになると、それはそれでワクワクしてきますね。
> 日本人が「(アメリカに)去勢された状態を積極的に受け入れることこそ、
> 他国にたいして道義的優位に立ち、
> ひいては国際的な覇権を獲得する道だ」と思い込んでいることが
> 暴かれてしまうのです。
> 戦後の平和主義者が「憲法九条を世界に広めよう」とか言うのなんか、
> まさにそれです。
> しかし、佐藤氏は、反体制派・左翼のみならず、
> 体制派・保守派も同じメンタリティであると指摘します。
> なるほど、確かにそうだ。
確かにそうです。
> さらに佐藤氏は、『バトルロワイヤル』等の解釈を通じて、
> 「戦後日本の体制派は、みずからをアメリカと同一視し、
> 『日本』の抹殺をはかることにより、おのれの立場を守りつつ
> 内心の自滅願望を発散、アイデンティティの虚妄性を糊塗してきた」ことを
> 暴露します。
> これも、図星でしょう。
これも、確かに図星なのでしょう。
にも関わらず、私は本書に否定的なんですよね。
その理由は、例えば『震災ゴジラ』の中の次のような言葉にあるのですよね。
<p.187>
われわれは近代日本の歴史に一貫した連続性を見出し、その成果と弊害を受け入れたうえで、真の自己肯定、ないし解放としての未来を志向してゆくべきなのである。
「解放としての未来」って、何からの解放なのでしょうか?
まあ、ここを見てくださっている皆様方は、東田さんが正しいと思っておいた方が良いですよ。気になる方は、『震災ゴジラ』を読んでみるのも一興かもしれません。面白いは面白いですから。
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