本書は、経済評論家の三橋貴明さんが企画・監修し、さかき漣さんが著者の小説です。過激な自由を徹底的に行使したときに、社会がどうなるかを描いています。
小説の世界観の基調である新自由主義的な社会の行き着く先の描写は、リアリティがあって見応えがあります。ただ、登場人物の動機や考え方がうすっぺらいように感じられてしまうのです。残念ながら。
私は『コレキヨの恋文』・『真冬の向日葵』・『希臘から来たソフィア』を興味深く読んできたので、本作も批判はしたくなかったのですが、正直、私には登場人物の心理が理解不能でした。ただし、何が解らないかが解らないというレベルではなく、この点がおかしいと思うという解らなさではあるため、私がおかしいと思ったところは論点として提示しておきます。
(1)秋川進について
一応、主人公の一人ですが、中身がからっぽのように感じられてしまいます。最初はGKの魅力に踊らされ、次は「みらい」という女性の魅力に踊らされているようにしか思えません。主人公なのですから、一度は自由を求めたものが、自由に対抗せざるをえなくなった動機の変化は、思想的にきちんと示されてしかるべきでしたね。
蛾が自ら火に飛び込んで自殺するように、自分がなく他人の光によって導かれて自滅していくタイプ。
(2)涼月みらい
本作のヒロインです。第一章で進とフラグを立てながら、その後は連絡も取らずに第三章では自分勝手に思い詰めて自殺しようとする困ったちゃん。5年ぶりの進とみらいの再開が、たまたまその自殺現場に進が居合わせたという超天文学的な確率に頼った超展開(汗)。
せめて、進に自主的に会いに行って、その帰りに自殺しようとするが、胸騒ぎがした進が駆けつけて阻止するとかいう流れとかくらいは考えてほしいです。または、進を監視していて、自殺は演技で劇的な再会を演出したとかね。いくらでも筋の通ったシナリオ展開はあるのに、天文学的な確率の偶然に頼ったシナリオは、読んでいてげんなりしてしまいます。
ちなみに、本作ラストでも天文学的な確率に頼った再会があり、一部の人には受けが良いのかもしれませんが、私はまたもや超偶然に頼った劇的展開かよと思ってしまいました。
みらいのパーソナリティもめちゃくちゃだとしか思えませんでした。みらいの目的達成のためなら、「敵」と疑似恋人関係になったときにいくらでも可能だったのに、なぜか回りくどいというか、意味不明な裏工作ばかりしているという有様。
(3)独裁者には顔がないのか?
私には、本作の独裁者には顔があったと思います。まあ、その行動についても、イデオロギーというよりトラウマの割合が高いわけで、そこもげんなりしてしまったわけですが・・・。
独裁者に顔がないというのは、一体誰が言ったことなのか?
そこに注目すれば、顔のある独裁者が、自分は悪くない、自分は独裁者ではないという自己弁護のために、無意識的に示した概念だとしか思えませんでした。
他にも、前リーダーですら何故か知らない都合の良い隠し部屋が出て来たり、ツッコミどころは多々あります。
前作までの作品に比べると、さかき漣さんの本来の小説テイストが出ているのでしょう。特に、みらいなどの人物には、さかき漣さんの中の狂気が反映されているのでしょう。そいった狂気については、実は嫌いではないのですが、狂気をうまく表現するなら、頭のおかしい人物は限定しておくべきでした。主な登場人物が、イデオロギーではなくトラウマで右往左往しているのって、本作のテーマからしたら失敗だったと思います。
正直、批判したくなかったのですが、登場人物の考えと行動にあまりに不自然な点が多かったため、否定的な論評になってしまいました。
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