『遺稿焼却問題』

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#ぷねうま舎 #永井均 #永井哲学

読み始めましたが、最初の「人と交わらぬ人生」について何か書いてみたくなり手が止まってしまいました。
永井さんの本は、ところどころで立ち止まる箇所があるのですが、さすがに最初に1ページで手が止まるとは・・・。


「人と交わらぬ人生」について考えたこと(1)

「人と交わらぬ人生は生きるに値しない」と「自殺してはならない」が同列に語られているが、間違っていると思う。前者は哲学的にも社会学的にも重要な論点だが、後者はカルト宗教の一つの教義に過ぎないのだから。


「人と交わらぬ人生」について考えたこと(2)

ここで出てくる人物は、この問題の例として適切ではないだろう。なぜなら、東西の古典文学を読んでいるから。つまり、この人物は、明らかに人と交わっている人生を送っているのだから。それが生者か死者かは、ここで大きな問題ではないだろう。


「人と交わらぬ人生」について考えたこと(3)

「よくない(犯罪や不道徳行為とは別の意味で「悪い」)という通念」は、恥と罪との構造の違いからうまく説明できると思う。




恥と罪の構造をうまく説明している本は、
の「 第11章「恥」と「罪」 」しか知らない。
(だから自分で書いたわけで)

これ以外での説明は寡黙にして知らないので、もしその構造を説明している本があれば教えてください。
(教えてもらえれば感謝します)



例えば、西部邁さんは『大錯覚時代』で、


同心円状をなすふたつの価値的位相なのであって、
中心部に「罪の文化」があり、
その外縁に「恥の文化」が位置しているとみなすべきであろう。


と述べています。
西部さんを心から尊敬していますが、間違っています。
(それぞれが示している構造を見比べてみると面白いと思いますよ)

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