『表現者40』を読みました。今号は論考で良いと思えるものがいくつもありました。論考内の、ぐっときた文章を引用していくつか紹介します。どれも恰好良いです。
【シンフェーンの覚悟(西部邁)】
<20ページ>
政治の残酷が罷り通るのは、その政治が祖国という名分に繋がれているからである。だが、その名分に込められている祖国の内実は何かと問うてみると、そこに女たちがひそかに登場する。女たちの引き受けてくれているはずの喜怒哀楽すべてに及ぶ複合感情の延長と持続、それが祖国の実体なのだ。
<21ページ>
我らの同胞たる日本人は、男たちにあって「我らのみ」でも戦うという覚悟を、女たちにあって(自分らの男たちを殺した者たちにたいして)「二度と顔をみせるな」と言い放つ純心を、きれいさっぱり捨てたらしい。そうするのが平和で安全だという打算がこの列島を覆って六十六年である。
【逃れえない危機(佐伯啓思)】
<59ページ>
われわれはわれわれの欲望が生み出したものにがんじがらめにされ、自由がもたらす煉獄と科学技術が生み出す牢獄へと監禁されている。われわれは欲望の主体であることによって、自らの欲望に従属させられているのだ。さしあたり、この監獄から逃れるすべはない。われわれにできることは、残念ながら、この事態を直視するだけである。しかし、そのことを直視すれば、未だに「自由」や「安全な技術」や「地球的一体化」などというバカげたクリーシェを唱える愚からは身を引くことができるだろう。
【帝国主義の再来?(柴山桂太)】
<64ページ>
帝国主義はかつてのような野蛮な姿ではなく、自由貿易の皮を被って、もっと現代的な姿でやってくるのだ。
<65ページ>
日本に必要なのは「攻め」ではなく、来るべき経済戦争から国内の雇用と秩序を「守る」ことをおいてない。
PS.
座談会で中島岳志が〈大東亜戦争全面肯定論も保守派の論理からすると成り立たないと思っているんです〉と述べていますが、大東亜戦争全面肯定論とは、「日本無罪論」なのか「日本無謬論」なのかはっきりさせてください。あと、誰が唱えているのかもはっきりさせてください。