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 読んでいただけると嬉しいです。

 けっこうな問題作を書いてしまいました(汗)

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『ブッダという男』

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 清水俊史の『ブッダという男 ――初期仏典を読みとく』を読んだのですが、議論の構造に問題があるような気がするので、それを書いてみようと思います。

 私は仏教学の素人なので、当然ながら私の認識に間違いがあるかもしれません。具体的に間違いを指摘いただければ、謝罪し訂正させていただきます。

 さて、本書の目的は〈ブッダという男は何者であり、何を悟り、何を語った〉のかです。また、〈二五〇〇年前に生きたブッダという男の先駆性を、バラモン教やジャイナ教と比較することで、歴史的文脈のなかに位置づけようと試みた〉とも語られています。この問題には、多くの仏教学者が挑んできたのですが、本書では驚くべき結論が示されています。

 清水は、〈その時代時代に応じて、ブッダは求められる姿に解釈される。逆説的だが、中村元など近現代の一部の研究者が喧伝した「歴史のブッダ」は、実は歴史上一度も存在しなかった「神話のブッダ」だったということである〉と言い切ってしまっています。

 これは驚くべき意見です。これが本当ならばの話ですが。

 素人でも気づくポイントとして、ブッダについて残されている資料のどれを参照するかで、ブッダは異なったイメージになってしまうでしょう。ここでの議論の大枠を述べておくと、古い資料(ブッダの生きた時代に近い資料)を重視するか、特定の時代の資料を重視するかという違いがあります。

 つまり、古い資料を重視したブッダ像に対し、特定の時代の資料を重視したブッダ像からの非難が行われているわけです。

 清水は、〈本書では、初期仏典を検討するとき、異本や写本断片などの異同を細部まで調べて、最も古い読みを探し、それを仏教の源流に結びつけるといった方法論をとらない。むしろ、部派を超えて一致している箇所こそが仏教にとって重要であり、伝承も古くまで遡れるという仮説に基づいて考察を進める。そして、用いる初期仏典は、スリランカを中心に栄えた上座部仏教が伝持してきた三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)が中心となる〉と述べています。つまり、『スッタニパータ』や『ダンマパダ』などの古い資料ではなく、〈「初期仏典」のなかでも部派を超えて確認できる記述を中心に「ブッダ」を再構築〉しているわけです。

 ここの説明を読むだけで、二つの疑問が出てきます。一つ目は、清水の語るブッダは、あくまで初期仏教がそう見なしていたブッタ像に過ぎないのではないかという疑問です。二つ目は、清水の考察は仮説に基づいたものだそうですが、他の仮説をそこまで非難できるような根拠を持つのだろうかという疑問です。

 つまり、古い資料に基づくブッタ像も、初期仏典に基づくブッタ像も、それぞれ仮説にすぎないのではないかということです。ある仮説を基に、他の仮説を非難するなら、そこには相当な根拠が示されていなければならないでしょう。本書では、その根拠が十分に示されているとはとても思えないのです。

 清水が、古い資料を用いない理由を述べている箇所を見てみましょう。例えば、〈多くは仏教やジャイナ教など沙門宗教の間で共有されていたものであり、仏教そのものの思想を訊ねるのに必ずしもふさわしくない〉とか、〈当初の仏教教団は、『スッタニパータ』や『ダンマパダ』など特に古いとされる韻文資料の聖典性を認めていなかった〉という記述があります。

 しかし、ここから言えることは、初期仏教の思想を知るための条件に過ぎないでしょう。ブッダを知るために不適切な根拠にはならないように思われます。むしろ、『スッタニパータ』や『ダンマパダ』が他の宗教と共有されていた情報なのだとしたら、ブッダを知るにはより重要だという見方も成り立つでしょう。

 清水は、〈古代の仏教徒たちが権威を認めていなかった資料を主材料にしてブッダを構築することは、歴史の先駆者としての意義を問ううえで妥当とは言えない〉と述べています。この前提が、まずもって受け入れがたいのです。ブッダを歴史的文脈のなかに位置づけるのなら、多角的な視点での検討が必要であり、特定の集団(しかもブッダを祭り上げている集団)からの意見だけで論じるなら、その妥当性は低くなると考えられるからです。

 さらにまずいことに、清水は他の学者を非難するために自分のことだけを棚にあげているように読めてしまうのです。清水は、一部の仏教研究者がブッダに自身の願望を代弁させていることを非難し、〈もちろん、初期仏典のなかにも、後代の仏弟子たちによる加筆は多々あり、それを取り除くことはブッダという男の実像に迫るうえで重要な作業であろう。しかし、初期仏典のうちどれが後代の付加であるのかを見極める客観的な判断材料はほぼないに等しく、実際には、自らの主観に基づいて取捨選択してしまっているのが現状である〉と述べています。そうであるなら、〈部派を超えて一致している箇所〉を重要視してブッダを語る清水の見解だって、自らの主観に基づいた取捨選択にすぎないでしょう。残された資料が限られている以上、こういった見方もできるという言い方にとどめるのが研究者として誠実な態度だと思われますが......。

 初期仏典を重要視する自分自身の見解を補強するためか、清水は〈キリスト教研究において、写本が古いからといって、グノーシス主義文書や新約外典文書を通して史的イエスを検討しても無益だったことが思い起こされよう〉と述べています。これにも大きな疑問を感じました。

 学問的にキリスト教に興味のある人なら、キリスト教からみた「イエス・キリスト」と、歴史的な「ナザレのイエス」(史的イエス)が別の存在であることは常識に属するでしょう。例えば、レザー・アスランの『イエス・キリストは実在したのか?』では、ローマ帝国側の史的資料や新約外典『トマスによる福音書』などを多角的に検討し、史的イエスをユダヤ教のユダヤ人として描き出しています。

 仮に、初期キリスト教文書の共通する箇所から、史的イエスを描き出そうとする人がいたらどうでしょうか? それと同種の違和感を、『ブッダという男』から受けたわけです。

 また、本書では他の学者を非難する際に、言葉の定義をもてあそんでいるように見えてしまう箇所がありました。例えば、ブッダは平和主義者か否かは、"平和主義"をどう定義するかによるでしょう。定義次第では、ブッダは平和主義者になったり、平和主義者ではなかったりするでしょう。

 清水は、ブッダを平和主義者とする学者を非難し、ブッダは平和主義者ではないと結論づけています。なぜなら、〈初期仏典に残されるブッダの言行を考察しても、戦争の無益さを説く教えはあっても、王に対して戦争そのものを止めようとした教えはない〉からです。

 この説明に納得できるでしょうか? 私は不信感を抱きました。戦争の無益さを説くなら、それは平和主義者だという見方も成り立つからです。さらに言うなら、清水のような平和主義者の定義を持ち出すなら、現代にも平和主義者は存在しないことになるでしょう。プーチンに対して、戦争そのものを止めようとした教えを実践できた人はいなかったからです。(安全圏から安易な戦争反対を唱えた人はたくさんいましたが)

 また、清水の現状認識の精度にも大いに疑問があります。清水は、〈「一人の命は地球よりも重い」とされる現代とは異なる次元の生命観が、初期仏典には貫かれているのである〉と述べています。つまり、現代の生命観は「一人の命は地球よりも重い」とされているのです。この認識、合っていると思いますか? 私は的外れな見解だと思いました。「一人の命は地球よりも重い」という言葉は、卑劣な一部のサヨクが表面的に言っているだけでしょう。本当に「一人の命は地球よりも重い」と思っている現代人がいるなら教えてほしいものです。プーチンの戦争を止めようとロシアに乗り込んで殺された人がいるなら、その資格があると思いますが。

 他にも違和感を覚える箇所はいくつかあるのですが、細かいところを論じるときりがないので、大前提としておかしいと思うところを述べてきました。

 本書が、あくまで初期仏典に基づいて構築されたブッダ像を淡々と語っているだけなら、良書たりえたと思います。しかし、他の学者のブッタ像の非難が、ところどころ的外れに感じたので、その理由を述べてみました。ちなみに私自身は、清水も他の学者も一面識もありません。単なる読書好きとして、気になったところを述べたまでです。

 繰り返しになりますが、私の考えに間違いがあれば具体的・論理的にご指摘いただければ大変助かります。

【付録】

 清水は本書で、中村元や馬場紀寿などを非難していますが、彼らの著作を参考文献として提示しています。本書との絡みで、気になったところを抜粋してみましょう。

 中村元の『原始仏典』には、〈仏典にはいろいろと有名なものがありますが、その中でも『スッタニパータ』とよばれるものが最も古く、したがって釈尊の思想なり、そのころの人々の生活を最もよく伝えているであろうと学者は推定しています〉とあります。推定しているという言い方に、学問的な誠実性が感じられます。

 また中村は、〈厳密にここまでがお釈迦さまの時代の教えで、ここは弟子のころの教えだというぐあいにはっきりと区別することは困難だろうと思います。だいたいパーリ語の仏教経典に伝えられている教えが原始仏教聖典の教えであり、原始仏教の教えである、そういうぐあいに解していいのではないかと思っています。そしてこれは、必ずしも釈尊の教えをそのまま伝えているわけではありませんが、なにもそのままでなくてもしかたがないと思うのです。というのは、釈尊という一人の歴史的人物が説いたのは、おそらくマガダ語か何かです。中部インドの特殊なことばだったろうと思うのですが、それが後にパーリ語で写されまして、あるいはものによってはさらにサンスクリット語で写されています〉と説明しています。

 馬場紀寿の『初期仏教──ブッダの思想をたどる』では、ブッダの生没年代を〈おおよそ紀元前五世紀前後〉とし、〈紀元前の仏教が「初期仏教」に当たる〉と説明されています。また、〈三蔵が成立した年代が初期仏教の時代より大きく下る可能性はある〉と指摘されています。〈五世紀前半、上座部大寺派は、パーリ三蔵の正典化を完了〉したという説明もあります。

 そのため馬場は、〈初期仏教では口頭で仏典が伝承されていた以上、歴史上の人物としてのブッダの思想を文献研究によって復元するのは、不可能である。しかし、それに代わって、遡りうる限り最も古い資料にもとづいて、仏教教団が「ブッダの教え」として伝承していた思想を特定することはできる〉と述べています。

 歴史的なブッダを考える上で、ブッダの生きた時代と参照する経典の成立時期のズレは考慮すべきだと思われます。

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