本書は、西部邁さんと黒鉄ヒロシさんの対談本です。「もはや、これまで」って、題名が良い感じですよね。会話形式なので、テンポ良く進んでいて面白く読めました。気になったところにコメントしていきます。
【p.98 西部】
僕はやはり説明を求めたいね。どうして親を殺しちゃいけないんでしょうかって。
→ 西部さんのこういうところが、さすがなのですよね。ここのすごさって、分かる人には分かるけど、分からない人にはむしろ嫌悪感を与えるところでもあるんですよね。ただ、ある程度以上の深い思想にとっては、ここのところはどうしても必要なんですよね。
【p.118 西部】
僕はユダヤ人のことまではわからないけれども、日本人の場合は大陸文化だ、南蛮文化だ、アメリカ文化だと、いろいろな文化を取り入れているうちに、ある種の生殖能力、自分のものを創り出す能力が弱くなっているのかなあと思うことがある。
→ こういうところは、正直うんざりするところです。イチャモンにしか聞こえないわけです。それなら、自分のものを創り出す能力がある国を提示してほしいですね。イギリスとかでしょうか?
【p.130 黒鉄】
上から下までこんなに文学で成熟した国は世界にないですよ。ただ、それがいいか悪いかはまた別の話でして、ちょっと文学に拘泥しすぎたきらいがないとは言えないですね。
→ ここもうんざりするところです。文句を言いたいから文句を言っているように見えてしまうわけです。だって、文学に拘泥しなかったらしなかったで文句を言い、中途半端だったら中途半端で文句を言えるわけですよ。特に保守派の人に多いように感じられるのですが、客観性を装って主観的に日本を悪く言うのは嫌な感じがしますね。
【p.167 黒鉄】
これだけ戦をして首を取ったり取られたりしてきた国は世界にないですからね。そういう中で揉みに揉まれ、磨きに磨かれてきた武士道というものをせっかく精神の真ん中に立てたのに、それをみんな、アナクロじゃと押し倒したでしょう。あれは人類史上稀有の思想哲学であって、これに寄り添えば人として美しくあれたんです。
→ すばらしいですね。まったくその通りだと思います。人類史上の思想や哲学を散策してみても、それが武士道に辿り着かないのなら、単に腰抜けの世渡り上手にしかなりえないのです。武士道をさらに突き詰めていくと、特攻の思想に至り着くわけです。
【p.179~180 西部】
いったい明治の人たちが、なんであれだけの立派な仕事をして、真剣に生きて、死ぬ間際で「所詮、人間なんて蛆虫だ」と言ってのけたのでしょうか。
たぶん、キリスト教と関係があって、キリスト教が謳うヒューマニズムとか普遍主義とか、そういったきれい事に兆民も諭吉も逆らったんだと思う。
→ これは、目から鱗でした。なるほどね~。その通りだと思います。さらに付け加えるなら、江戸後期から八百万の神々との対比で、国学では人間を低くみなす考え方も出ていたので、その影響も付加できると思います。
【p.189 西部】
いや、タフというより、僕がむしろ同情を感じるのは、殺しを手がけた人間たちは娼婦としか一緒になれないんじゃないかなあ。
→ ここの視点ももの凄いですね。一理はあるような気がします。そして、その一理がとても重い意味を担っていますね。
【p.208 西部】
僕にとって死そのものはあまり恐怖じゃないんです。死とは何だろうか、逆に生とは何だろうかと考えていくと、訳のわからない問題が次々と出てきますが、その「訳がわからない」ということが、僕にとっては一番の恐怖なんです。
→ 実存派か本質派かで言うなら、実存を含み込む本質派の意見ですよね。ある作品の架空の天才は、人類の墓標に刻まれるべき一言として、「神様、よくわかりませんでした・・・・・・」という言葉を挙げていますね。