2013年11月アーカイブ

 本書は、西部邁さんと黒鉄ヒロシさんの対談本です。「もはや、これまで」って、題名が良い感じですよね。会話形式なので、テンポ良く進んでいて面白く読めました。気になったところにコメントしていきます。

【p.98 西部】
 僕はやはり説明を求めたいね。どうして親を殺しちゃいけないんでしょうかって。

→ 西部さんのこういうところが、さすがなのですよね。ここのすごさって、分かる人には分かるけど、分からない人にはむしろ嫌悪感を与えるところでもあるんですよね。ただ、ある程度以上の深い思想にとっては、ここのところはどうしても必要なんですよね。

【p.118 西部】
 僕はユダヤ人のことまではわからないけれども、日本人の場合は大陸文化だ、南蛮文化だ、アメリカ文化だと、いろいろな文化を取り入れているうちに、ある種の生殖能力、自分のものを創り出す能力が弱くなっているのかなあと思うことがある。

→ こういうところは、正直うんざりするところです。イチャモンにしか聞こえないわけです。それなら、自分のものを創り出す能力がある国を提示してほしいですね。イギリスとかでしょうか?

【p.130 黒鉄】
 上から下までこんなに文学で成熟した国は世界にないですよ。ただ、それがいいか悪いかはまた別の話でして、ちょっと文学に拘泥しすぎたきらいがないとは言えないですね。

→ ここもうんざりするところです。文句を言いたいから文句を言っているように見えてしまうわけです。だって、文学に拘泥しなかったらしなかったで文句を言い、中途半端だったら中途半端で文句を言えるわけですよ。特に保守派の人に多いように感じられるのですが、客観性を装って主観的に日本を悪く言うのは嫌な感じがしますね。

【p.167 黒鉄】
 これだけ戦をして首を取ったり取られたりしてきた国は世界にないですからね。そういう中で揉みに揉まれ、磨きに磨かれてきた武士道というものをせっかく精神の真ん中に立てたのに、それをみんな、アナクロじゃと押し倒したでしょう。あれは人類史上稀有の思想哲学であって、これに寄り添えば人として美しくあれたんです。

→ すばらしいですね。まったくその通りだと思います。人類史上の思想や哲学を散策してみても、それが武士道に辿り着かないのなら、単に腰抜けの世渡り上手にしかなりえないのです。武士道をさらに突き詰めていくと、特攻の思想に至り着くわけです。

【p.179~180 西部】
 いったい明治の人たちが、なんであれだけの立派な仕事をして、真剣に生きて、死ぬ間際で「所詮、人間なんて蛆虫だ」と言ってのけたのでしょうか。
 たぶん、キリスト教と関係があって、キリスト教が謳うヒューマニズムとか普遍主義とか、そういったきれい事に兆民も諭吉も逆らったんだと思う。

→ これは、目から鱗でした。なるほどね~。その通りだと思います。さらに付け加えるなら、江戸後期から八百万の神々との対比で、国学では人間を低くみなす考え方も出ていたので、その影響も付加できると思います。

【p.189 西部】
 いや、タフというより、僕がむしろ同情を感じるのは、殺しを手がけた人間たちは娼婦としか一緒になれないんじゃないかなあ。

→ ここの視点ももの凄いですね。一理はあるような気がします。そして、その一理がとても重い意味を担っていますね。

【p.208 西部】
 僕にとって死そのものはあまり恐怖じゃないんです。死とは何だろうか、逆に生とは何だろうかと考えていくと、訳のわからない問題が次々と出てきますが、その「訳がわからない」ということが、僕にとっては一番の恐怖なんです。

→ 実存派か本質派かで言うなら、実存を含み込む本質派の意見ですよね。ある作品の架空の天才は、人類の墓標に刻まれるべき一言として、「神様、よくわかりませんでした・・・・・・」という言葉を挙げていますね。

 

 本書は、中野剛志さん・柴山桂太さん・施光恒さんという現代日本を代表する知性が、会話形式で新自由主義やグローバリズムの欠陥を徹底的に曝いていくという作品になっています。
 非常に分かりやすく、さくさくと読めました。三者の格好良い台詞を紹介してみます。

「中野剛志(p.038)」
 もし、自分がソニーの会長だったら、今、外国人移民を大量に採用する。今、儲けるために移民を入れよと。10年後、ソニーがなんの技術開発もできない凡庸な会社になっていても、俺は知ったことかと。あと、2、3年で引退だ。それまでの間、利益を出して株価を上げて、自分が有能な経営者としてチヤホヤされればいい――つまり、すでに金持ちの人間がもっと金持ちになるための政策なんです。

→ 同意です。今の団塊の世代当たりって、だいたいこういった思考パターンだと思います。大東亜戦争を否定し、祖父母の世代を貶めてきた世代が、子や孫の世代のことを考慮するわけがないですからね。

 

「柴山桂太(p.041)」
 「アジアの成長を取り込む」というおきまりのフレーズも、なんとかしてほしいですね。帝国主義じゃあるまいし、「取り込む」ってなんなのか。実に「内向き」な、品のない言葉だと思いますね。

→ 同意です。これに類似した台詞って、けっこういろんなところから聞こえてきますよね。そういった奴らは、下品な奴らだなぁと内心で見下しておきましょう(笑)

 

「施 光恒(p.120)」
 日本語の曖昧さが良くないという意見をわりと聞きますが、曖昧なことを表現できるのが複雑な言語であり、そこに文学や芸術、学問の成立する余地があるんですけどね。

→ 同意です。まったくその通りだと思います。もう少し補足すると、日本語は曖昧な表現も、厳密な表現も可能だということです。そうでなければ、日本が翻訳大国になっているはずはないのですから。ですから、日本語の曖昧性を否定的に述べる者は、単にその人が曖昧なヤツで厳密な表現能力がないってことを自分で証明してしまっているのですよね。

 

 あと、本書のテーマを軽く飛び越えていますが、柴山さんの言葉で凄まじい箇所があるので紹介しておきます。

 

「柴山桂太(p.136)」
 西欧近代が生み出した三代イデオロギーは自由主義、社会主義、保守主義で、これらが状況に応じて敵対したり協調したりしながら各国の政党政治を動かしてきた。つまり、この三つははっきり分かれるものではなくて、ボロメオの輪のようにつながった部分があるということです。

→ これは、何気ない一言のように思えますが、凄まじい論点を適確に示しています。新自由主義がマルクス主義のように打ち捨てられた後の新たな世界秩序において、けっして無視できないテーマが含まれています。こういった意見を淡々と述べているという点をみても、私なんかは柴山さんに畏怖を覚えてしまいますね。

 

「柴山桂太(p.176)」
 今の段階では答えはないんですが、通貨論は21世紀の経済思想で必ず問題になってくると思います。

→ これも、極めて重要で適確な指摘です。新自由主義の問題点は本書で論じられていますが、その後の世界を考える上で、通貨論は今から考えておくべきテーマです。新自由主義やグローバリズムがおかしいのは分かりました。では、通貨制度は如何にあるべきか? その答えは、まだこの世界には用意されていないのです。どうです? 恐ろしくはないですか?

 

 

 本書は、西部邁氏による中江兆民評です。黒鉄ヒロシ氏の兆民の絵がテーマごとに挿入されています。絵に味があります。『福澤諭吉 - その報国心と武士道』よりもさらに評価の難しい作品になっていると思われます。
 本書の目的については、〈民主主義なるものを(文明のみならず自分の人生にとっての)「敵」とみなすと公言するのを憚らないできた私が日本民主主義の祖とみなされている兆民を「まあ好きだ」と公言するのは、一体全体、どういうことか、それを説明するのが本書の目的だといってかまいません(p.9)〉と語られています。その解答がどのようなものかは本書の全体が示しているのですが、その一部を示すなら、『三酔人経綸問答』について〈兆民はあくまで南海先生であり(p.25)〉という推論などが挙げられます。
 本書で同意できない点としては、〈大和言葉は概念というものを正確に展開していくのに向いているとは考えられません(p.33)〉という箇所があります。その理由として、〈自然(日常、生活)言語にこだわるのは日本語の長所でもありますが、人工(科学、概念)言語の不足が短所となる局面が哲学という思考にはあるもの(p.33)〉だということが述べられています。他言語との相対比較で考えてみても、人工言語の導入という面では、日本語は漢字の組み合わせが可能であり、かなり優秀だとしか思えません。兆民の思考を擁護するにしても、ここに関しては根拠薄弱どころか、無理筋な議論だとしか思えませんでした。
 本書で著者の感性が良い意味で示されている箇所も多々あります。例えばルソーの『社会契約論』について、〈初訳者の兆民自身が、これから説明しますように、民約論をフランス革命流に(ということは民主主義という名の世俗流に)読んではならぬということを当初から忠告していたのです。それなのに戦後民主主義者は、フランス革命を記念する「パリ祭」を日本でも催し、そのたびにルソーと兆民のことを喧伝して喜んでいる、という相当に恥ずかしい所業を続けてきたのでした(p.68)〉と語られています。確かに、相当に恥ずかしいですね。
 他にも、三カ所ほどさすがだと思ったところを示して感想を終わります。

<p.85>
 兆民が「好新」の態度を「急進的」に強調するのは、「新平民」のことがその典型であるように、問題がこの世の根本的な道義つまり「正理」に明らかに抵触する(と思われる)場合のみにおける、批判の文脈においてなのです。

<p.213>
 兆民が有神論に向かわなかったのは、その是非のことはともかくとして、武士道のおかげです。武士道にあっては、道徳はあくまで形而下の問題として論じられます。

<p.214>
 論理の厳密性と体系性を誇示する西洋哲学から、彼は多くのものを学んだのでしょう。しかし、彼が西洋哲学の(世間的な意味での)権威に頼って言動したことは、能うかぎり少なかったのです。

 

 『道士郎でござる』のワイド版の第弐巻です。

 早くも、主人公の座は道士郎ではなく健助に移っていますね。どう考えても、この漫画の真の主人公は健助です。異論は認めません(笑)

 

健助「エー リー ターン、 あーそーぼ。」

道士郎「アホのよーじゃが、やらねばならん事らしいのう。戦いじゃ。助太刀致そう。」

 

 ここだけ見るとアホのようですが、異常にカッコ良いシーンです。ほんとだよ(汗)

 ここで赤面して出て来るエリタンかわいい。
 

 本書は、経済評論家の三橋貴明さんが企画・監修し、さかき漣さんが著者の小説です。過激な自由を徹底的に行使したときに、社会がどうなるかを描いています。
 小説の世界観の基調である新自由主義的な社会の行き着く先の描写は、リアリティがあって見応えがあります。ただ、登場人物の動機や考え方がうすっぺらいように感じられてしまうのです。残念ながら。
 私は『コレキヨの恋文』『真冬の向日葵』『希臘から来たソフィア』を興味深く読んできたので、本作も批判はしたくなかったのですが、正直、私には登場人物の心理が理解不能でした。ただし、何が解らないかが解らないというレベルではなく、この点がおかしいと思うという解らなさではあるため、私がおかしいと思ったところは論点として提示しておきます。

 

(1)秋川進について
 一応、主人公の一人ですが、中身がからっぽのように感じられてしまいます。最初はGKの魅力に踊らされ、次は「みらい」という女性の魅力に踊らされているようにしか思えません。主人公なのですから、一度は自由を求めたものが、自由に対抗せざるをえなくなった動機の変化は、思想的にきちんと示されてしかるべきでしたね。
 蛾が自ら火に飛び込んで自殺するように、自分がなく他人の光によって導かれて自滅していくタイプ。

(2)涼月みらい
 本作のヒロインです。第一章で進とフラグを立てながら、その後は連絡も取らずに第三章では自分勝手に思い詰めて自殺しようとする困ったちゃん。5年ぶりの進とみらいの再開が、たまたまその自殺現場に進が居合わせたという超天文学的な確率に頼った超展開(汗)。
 せめて、進に自主的に会いに行って、その帰りに自殺しようとするが、胸騒ぎがした進が駆けつけて阻止するとかいう流れとかくらいは考えてほしいです。または、進を監視していて、自殺は演技で劇的な再会を演出したとかね。いくらでも筋の通ったシナリオ展開はあるのに、天文学的な確率の偶然に頼ったシナリオは、読んでいてげんなりしてしまいます。
 ちなみに、本作ラストでも天文学的な確率に頼った再会があり、一部の人には受けが良いのかもしれませんが、私はまたもや超偶然に頼った劇的展開かよと思ってしまいました。
 みらいのパーソナリティもめちゃくちゃだとしか思えませんでした。みらいの目的達成のためなら、「敵」と疑似恋人関係になったときにいくらでも可能だったのに、なぜか回りくどいというか、意味不明な裏工作ばかりしているという有様。

(3)独裁者には顔がないのか?
 私には、本作の独裁者には顔があったと思います。まあ、その行動についても、イデオロギーというよりトラウマの割合が高いわけで、そこもげんなりしてしまったわけですが・・・。
 独裁者に顔がないというのは、一体誰が言ったことなのか?
 そこに注目すれば、顔のある独裁者が、自分は悪くない、自分は独裁者ではないという自己弁護のために、無意識的に示した概念だとしか思えませんでした。

 

 他にも、前リーダーですら何故か知らない都合の良い隠し部屋が出て来たり、ツッコミどころは多々あります。
 前作までの作品に比べると、さかき漣さんの本来の小説テイストが出ているのでしょう。特に、みらいなどの人物には、さかき漣さんの中の狂気が反映されているのでしょう。そいった狂気については、実は嫌いではないのですが、狂気をうまく表現するなら、頭のおかしい人物は限定しておくべきでした。主な登場人物が、イデオロギーではなくトラウマで右往左往しているのって、本作のテーマからしたら失敗だったと思います。
 正直、批判したくなかったのですが、登場人物の考えと行動にあまりに不自然な点が多かったため、否定的な論評になってしまいました。


 
 

 

 『哲学ごっこ』『上遠野浩平の『私と悪魔の100の問答』で哲学する』を追加しました。

 哲学的に、けっこう深い問答が展開されています。