2014年10月アーカイブ

 ドイツの天才数学者であるヘルマン・ワイルの講演録です。ワイルは数学者ですが、物理学や哲学など広い学問知識を有しており、その言葉には魅力があります。
 特に興味深いのは『開かれた世界』でしょう。そこでは、ワイルによる「数学」・「神への真の愛」・「世界」についての定義を知ることができます。その定義を見ると、やっぱり数学者だなぁという感想を抱きますね。
 本書の題名にもなっている『精神と自然』も面白いです。そこでは、意識作用が世界には属さないことが語られています。やっぱり、哲学的な洞察も素晴らしいですね。


 マイケル・ウォルツァーは、アメリカの政治哲学者です。コミュニタリアニズム(共同体主義)の一人だと言われたりもしています。

 内容については退屈な箇所もありますが、気になるところもある感じですね。例えが『聖書』とかなので、日本人だと内容が頭に入りにくいというのもあるとは思いますが。

 三章から成っています。それぞれの章の題名と、気になった文章を紹介してみますね。


<第一章 道徳哲学の三つの道>
 発見も発明も議論を終わらせることができない。(一時的であるにしても)多数派を占めている賢人たちを凌駕する「証明」はない。そのことが「それは天にあるものではない」ということの意味である。私たちは議論を続けなければならない。


<第二章 社会批判の実践>
 物語を語るほうがよい。決定的で最善の物語は存在しないとしても、また、いったん語られれば将来の物語作家たち全員の仕事がなくなってしまうような究極の物語は存在しないとしても、とりあえず物語を語るほうがよいのだ。


<第三章 社会批判者としての預言者>
 各民族には、それぞれ特有の預言が与えられる可能性がある。それはちょうど、おのおのの民族ごとに、固有の歴史、解放の経験、そして神との言い争いがあるのと同じことである。


 どうです。参照すべき箇所があるのが、分かると思います。


  著者があとがきで述べているように、本書は雑誌「新潮45」に連載中の記事をまとめたものになります。

 連載中のものを覗いていたりしていたので、本書は非常に楽しみでした。一通り読んでみましたが、やはりレベルが非常に高いですね。日本思想に興味があり、かつ西田幾多郎の言いたいことの要点をつかんだ者には、本書は魅力的に感じられるでしょう。一方、西田の言いたいことの要点をとらえそこなうと、意味のないことを難しい用語を利用して何かあるように述べているだけだと受け取られるかもしれません。

 しかし、要点をつかみ得た者には自明でしょうが、西田も著者も徹底的に論理的に考えているのです。

 本書は簡単な解説が難しいので、実際に読んでいただくのが一番です。それでも、お勧めポイントを述べておくなら、例えば「第五章 特攻精神と自死について」を挙げることができます。ここでは、『永遠の0』論も示されています。『永遠の0』については数多くの人が論じていますが、私の知る限りでは最高峰の解説となっています。まさしく、本物の知識人の言論というものを見ることができます。

 それは、とても贅沢なことではないでしょうか。


『表現者57』

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 本号は良記事が多かったのですが、中でも群を抜いているのが西部邁氏の『憶い出の人々』です。戦後日本に稀有な思想家をして、この時このタイミングでしか書けない凄烈な作品に仕上がっていると思います。内容についての評価は畏れ多くてとてもできません。ただただ、とてつもない作品だと言うしかありません。それ故、安易な推薦も難しい作品となっています。読む者にも覚悟が求められると思うからです。

 以降、気になった記事についてコメントしてみます。


<第一次世界大戦の教訓 ―グローバル化が引き起こした戦争>柴山桂太

 グローバル化の下で新興国の経済危機が頻発し、経済危機が大国による直接・間接の帝国主義的な介入を招く。そして帝国主義的な介入が、大国間の地政学的な対立を激しくする。百年間のグローバル化は、そのようにして世界を破滅に追いやったのだった。同じ構図が現代でも繰り返されるのだとしたら、この百年、人類は何一つ進歩などしてない、ということになる。

→ 非常に重要な警告だと思います。


<「歴史の終わり」から「文明の崩壊」へ>佐伯啓思

 端的にいえば、国際的投機資本から国内の雇用と生産を守り、新帝国主義的進出から国境を守り、資源の自給的な確保を目指すほかない。これはあくまで国民国家の枠組みを保守し、その安定化をはかることなのである。それだけが、今日のグローバル文明の崩壊から多少は身を守ることになるのであろう。

→ これも重要な指摘です。現代におけるグローバリストと、如何に戦っていくかがカギになりますね。


<保守放談 泥沼化するイラク>

 今の混乱に比べれば、フセイン体制の方がまだ秩序が保たれていた。宗派や民族が複雑に入り交じった人工国家では、独裁が必要悪となることもある。そんな当たり前の認識も持たずに、イラクを侵略したアメリカの罪は重い。アメリカの尻馬に乗って、イラク攻撃を正当化した日本の自称保守派も同罪である。

→ まったくその通りだと思います。


<シュタージ崩壊の顛末>クライン孝子

 そうと知りつつ、なぜドイツは、被害者ぶって米国を責めたてたのだろうか。
 答えは簡単で、被害者ぶること、これまさに情報作戦のノウハウの一つだからである。

→ 重要なポイントです。このノウハウが在るということを、しっかりと認識しておくべきでしょう。


 今後、買うかもしれない本について。

 忘れないように、ちょっとまとめておこうっと。


『ノイマン・ゲーデル・チューリング (筑摩選書)』高橋昌一郎 → 2014/10/16

『西田幾多郎: 無私の思想と日本人 (新潮新書)』佐伯 啓思 → 2014/10/17

 ・『この世の欺瞞(PHP研究所)』金美齢, 長谷川三千子 → 2014/10/21


 この三つは、たぶん買いますね。感想を書くかは、また別の話ですが。

 買って感想を書く本もあれば、書かない本もあるわけです。


 最近は、明らかに買う本の量が減ってきています。

 何か面白い本があれば教えてください。


 本書は、ブレトンウッズ会議におけるケインズとホワイトを中心人物とし、その攻防を描いたものになります。

 エコノミクスとしての経済学では、ケインジアンという言葉が特別の意味を持っているようです。ケインズは参照に値すべき人物だとは思いますけどね。本書では、ケインズの幻想を打ち砕く役割もあるかもしれません。本書を読めば、ケインズも時代の流れに翻弄された人物の一人だったことが分かると思います。

 一方、ソ連のスパイだったホワイトは、不気味です。ソ連はホワイトを手先として、日本がアメリカを攻撃するように仕掛けたと記されています。計画名は「スノー作戦」で、スノーはホワイトを意味しているそうです。

 p.81に、次のような記述があります。


 ホワイトはすでに紹介した衝撃的なメモを起草して、六月六日にモーゲンソーに提出した。このなかでホワイトがアメリカ外交の弱腰を幅広い視点から攻撃していることはすでに紹介したが、それ以外には二つの国、すなわち日本とソ連に関して具体的な提案も行っている。ソ連を取り上げた部分では、独ソ不可侵条約が破棄されるには経済的な誘因が必要だという点に注目している。そして日本を取り上げた部分では、日本との包括的な和解が提案されている。日本が中国とインドシナから兵力を撤退させて治外法権を放棄すれば、それと引き換えに政治経済に関して若干の譲歩を認めるという内容だった。ホワイトがどう考えていたかはわからないが、このような要求は非現実的で、日本がとても受け入れられるものではなかった。しかし少なくともソ連の諜報機関にとっては、それがねらいだったのである。


 ケインズがブレトンウッズに実際に残した痕跡はわずかなものですが、ケインズがブレトンウッズに臨んで用意した案そのものは、かなり参考になります。理論面においては、ケインズ案の方がホワイト案よりも優れていたと言えると思います。しかし、問題は政治の舞台であり、イギリスよりもアメリカの方が圧倒的に力があったということです。p.200には、次のように記載されています。


 結局、戦後に世界の国々が必要とするのはドルであり、いくらケインズが聡明でも、ミダス王にはなれなかった。


 本屋で大きなポスターで宣伝していて、その絵柄が美しかったので買って読んでみました。

 大阪から九州への出張で、新幹線の中で読むのにちょうど良い分量でしたね。


 本作は、「階段島」シリーズの一作目だそうです。階段島という変な島でのお話になります。

 階段島には謎があり、その謎をうまく絡めながら話が進んでいきます。一作目にして、大まかな謎は明らかにされているように思えます。後は、細かい設定とかになると思うのですが、二作目以降にそれらをどう展開するかが鍵になるのかな?

 読んでいる最中に受けた違和感は、ある程度の納得できる理由が示されていると思います。そこらへんは、設定を含めてうまいなぁと感じましたね。設定からして当然ではあるのですが、キャラの個性が強いですね。ヒロインの真辺については、人によって感じられ方が大きく異なるような気がします。

 私は、このような人物には、何か歪んだものを感じてしまいますね。主人公とは違い、徹底的に議論によって軌道修正させようとする気がする・・・(笑)

 主人公の言い分については、かなり注意深くみないと分からない気がしますが、それなりの正論が含まれています。ただ、彼の望むことそのものは、徹底的に歪んでいると思いますが。

 主人公の考える正論と、ヒロインの正義がこの作品の軸になっているような気がします。それらは、異なる前提なのですが、完全に独立して交わらないというわけでもないものです。今後の話としては、そこを分けて話を展開する方が、話自体は作りやすいのかなとは思います。

 ただ、実際の現実においては、その二つの葛藤を通じて、それぞれの利点を共に内面化していくことが必要なのだと思います。でも、それをやってしまうと、小説としては話を作りづらいのも確かですね(苦笑)

 本作の設定上、ある程度はしょうがないのですが、ある種の人物の歪みが話を作り出しているわけです。その歪みを利用して今後の話を展開するのか、その歪みを修整して現実の人間味を出していく(それゆえ詰まらなく可能性を抱え込む)のか、そこらへんが次回作以降への注目ポイントになるのかもしれません。そんなことに注目するのは、私だけかもしれませんが・・・。しかも、次回作以降を読むかはまだ未定という(笑)


 ちなみに、以下のページで、各キャラの顔が見られます。

http://shinchobunko-nex.jp/special/001.html

 堀が思った以上に可愛いです。水谷は、一目で委員長と分かりますね。