今は、本を読んでいるモード。
ディオゲネスの『ギリシア哲学者列伝』。岩波文庫で三巻分。
記述とか、いろんな書物からの寄せ集めだけど、ところどころに面白い箇所がある。エピクロスなど、この書物のおかげでその哲学の多くが残った者もおり、そういった意味では功績は大。
チョーサーの『カンタベリー物語』。これも岩波文庫で三巻分。
さすがに面白い。話によって、その面白さに差はあるけど。
今は、本を読んでいるモード。
ディオゲネスの『ギリシア哲学者列伝』。岩波文庫で三巻分。
記述とか、いろんな書物からの寄せ集めだけど、ところどころに面白い箇所がある。エピクロスなど、この書物のおかげでその哲学の多くが残った者もおり、そういった意味では功績は大。
チョーサーの『カンタベリー物語』。これも岩波文庫で三巻分。
さすがに面白い。話によって、その面白さに差はあるけど。
日本の曹洞宗の内山興正さんの著書を読んでみました。
坐禅について、分かりやすく解説されています。
坐禅の座り方を、ロダンの「考える人」との対比で考察されていたり、面白いですよ。
内山さんは、〈坐禅は思いを手放しにすることによって、生命の実物そのものをわれわれに体験せしめますが、その生命の実物とは尽一切自己(すべてのすべてとぶっつづきの自己)なのでした〉と述べておられます。
これは哲学的にも、深い洞察です。安易な神秘主義だとみなしては間違いですね。哲学的な見解としては、「第四章 坐禅人の自己」などで、かなり具体的に語られています。参考になります。
内山さんは、〈地獄へ落ちたら地獄こそ今の私の生命なのであり、真直ぐに地獄を生きぬくことであり、もし極楽へ往ったら極楽こそ今の私の生命であり、真直ぐに極楽を生きぬくという態度〉を説きます。
全面的な同意はさすがにできませんが、決してないがしろにしてはいけない見解だと思うのです。
今日は、梅田で用事を済ませた後、グランフロントの本屋に行って本を買ってきました。
今日、買った本は、以下の通り。
・『シリーズ・哲学のエッセンス クリプキ ことばは意味をもてるか』
・『人類史のなかの定住革命』
・『武士の絵日記』
・『櫻子さんの足下には死体が埋まっている 白から始まる秘密』
本を買ってかえると、ワクワクしてきますね。
好きな本を買えることって、かなりしあわせなことですね。
大阪には、大きな本屋さんがたくさんあります。
最高です。
本屋ごとに、微妙に違う本がそろっており、それがとても魅力的なのです。
本書では、深遠なインド哲学の魅力が存分に語られています。
ウッダーラカ・アールニとかヤージュニャヴァルキヤとか、本物の天才ですね。それにもかかわらず、知名度は低いです。不思議ですね。
インド哲学における無の分類とか、ワクワクしますね。無の分類ですよ。破壊無とか、交互無とか出てくるのですよ。これはワクワクしますね。
本書で特に面白いのは、やはり「第3問 本当の「自己」とは何か?」ですね。自己は心身とは異なるのです。素晴らしい着眼点ですね。自己が世界の外にあるということは、インド哲学の常識なのです。素晴らしいですよね。
本書は仏陀(仏陀、釈迦)の独創性を、哲学的な視点から描いた作品になります。
悪魔ナムチがブッダの心象を擬人化した存在ではなく、世俗的な価値観の具体的な人間を意味しているなど著者の考えが光ります。また、子供を捨てて出家したブッダを、最低の社会的義務を配慮していたと見なす見解も、別の角度からの考察をうながします。
ブッダの独創性についても、輪廻のメカニズムを経験的な事実を徹底的に観察し、考察することで解脱へと到達しているのだと考えられています。そういった考えの上で、最初期の仏教は骨太の体系を完成したと著者は言うのです。
ブッダを悟った人とする解釈は誤解を招くとして、目覚めた人だとすべきだとの考えも、基本ではありますが重要です。
ただし、ブッダがなぜ教えを説いたのかという問題については、疑問が残るところです。著者はここで方便をもって来ていますが、それはやはりおかしいと言わざるをえません。ここでは、ブッダが教えを説いた妥当な理由が必要になるところだからです。そこを考えていくのも、本書を読んだ者の楽しみになります。
題名からしてすごいですよね。『日本思想全史』ですよ。全史って言い過ぎだろうと読んでみたのですが、理由がはじめに説明されていました。
<p.13>
タイトルを全史としてのは、日本の思想をつかむために、古代から近代までの代表的な思想、思想家、思想的作品を対象とすることからであるし、他方、よくあるような学派や学統を重視する個別思想史ではなく、通有する基盤に着目した思想史を目指したからである。
日本思想には長い歴史がありますから、この分量にまとめるのはそもそも無理があるわけです。ですが、それにも関わらず、しっかりとまとまっていると感じました。もちろん、その分量には差があります。かなりしっかりと論じられているところもあれば、主要人物を羅列したような箇所もあります。
個人的には、『愚管抄』や『神皇正統記』の解説は面白かったです。他にも、法然の「選択(せんじゃく)」や藤原定家の「有心(うしん)」、『どちりいな』の「愛」など非常に興味深いですね。
記述にも公平中立を心がけていることが分かります。それにも関わらず、文章の差によって著者の嗜好がかいま見えて、そこがまた本書の魅力になっていると思います。
本書は題名の通り、ノイマン・ゲーデル・チューリングという三名の大天才を紹介するものです。その分野においてはもちろん、人類史を通してみても大天才であることは間違いない三名の話なのですから、それが面白くないわけがありません。
時代背景や対象となる学問の歴史も丁寧に解説されていますので、すっと内容が頭に入ってきます。ゲーデルの哲学とか、チューリング・マシンとか、その用語だけでワクワクしてきます。
ただし、一箇所気になったところがあります。著者が、「ノイマンは、日本を救ったとも考えられる」と述べているところです。しかし、「ノイマンが、いかなる世界観と倫理観に突き動かされていたのか、今後さらなる研究が必要と思われる」ともあるように、ノイマンの人間的な評価は保留にしておいた方が良いように思います。私には、ノイマンはやはり悪魔的に感じられてしまうのですよね。
それにしても、この時代のプリンストンって、すごすぎますね。この三名の他にも、ワイルとかアインシュタインとかいますからね。日本はアメリカと戦争していましたから、これら大天才たちの知性を相手取って戦っていたわけです。何とも言えませんが、感慨深いものがあります。
三上延さんと倉田英之さんのベストセラー作家のお二人が、いろいろな本についてさまざまに語り合っている本です。
三上さんの『ビブリア古書堂の事件帖』シリーズのファンなので、買って読んでみました。倉田さんの方は、失礼ながらご存じなかったです。
「読書狂」って、やっぱり独特の人種ですよね。私も本は読むほうだと思いますが、やっぱり本を読む動機の方向性が違うような気がしました。この二人は、本そのものを愛している感じがしますね。私は本そのものではなく、やっぱり本に書かれている内容に惹かれる感じです。ですから、古書とかの魅力もあんまり分からないのですよね。サイン本のレベルならほしいと思いますけどね。名作・傑作・奇本・珍本のうち、奇本までは分かりますが、珍本になると拒否感が出てきてしまいますね。読書狂の才能が足りていないですね(笑)。
本に対する態度も、人によって違って面白いですね。私は本のページの端を折りますし、シャーペンで書き込みしたりします。ですから、完全に売れなくなるのですよね(笑)。大学時代のはじめの方は、赤ペンとかで書き込んでいたのですが、やっぱり消しゴムで消せるのって大事で、シャーペンでの書き込みに落ち着きましたね。昔の本を読み返すと、赤ペンでマークされたページが出てきて、ほっこりしたりします。
本への愛着や、読み方や、好みなど、人様々だと再認識させられる作品ですね。