小浜逸郎さんの『福沢諭吉 しなやかな日本精神』について質問

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 小浜逸郎さんの『福沢諭吉 しなやかな日本精神』を読んでみました。良書だと思うのですが、ところどころ疑問が浮かびました。以前にも小浜さんのサイトに質問したことがあったので、今回もサイトへ質問してみることにしました。

https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/be18d67c1e4cf21505decb0588c9784a


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 『福沢諭吉 しなやかな日本精神』を読ませていただきました。良書だと思うのですが、いくつかの箇所で疑問が浮かびました。疑問点について、よろしければ教えていただけると助かります。


(1)21頁

《福沢諭吉を西欧型のリベラルな進歩主義の代表と見なすとらえ方も、国粋主義的な保守思想の代表と見なすとらえ方も、いずれも自分の都合のよいところだけを切り取った我田引水に他ならないのです。》


 これらのとらえ方って、それぞれどなたのことなのでしょうか? 丸山真男氏と西部邁氏のことかなと、私の頭には浮かびましたが...。

 また、私の意見ですが、福沢諭吉をリベラルな進歩主義の代表と見なすことも、(「国粋主義的な」という言葉を抜かせば)保守思想の代表と見なすことも可能だと思われます。なぜ、そのような見方が我田引水なのか、具体的に教えていただけないでしょうか?


(2)23頁

《さて、その数行後に、「されども今、広くこの人間世界を見渡すに」とあって、いかに現実の世が貧富、賢愚、身分、権力においてはなはだしい格差に満ち満ちているかというくだりがあります。『学問のすゝめ』はここを出発点として、この格差にまつわるいわれなき尊卑感情を少しでもなくし、多くの人が自主独立の気概をもって人生を歩めるようにするには、「学問」がどうしても必要だ、というように展開されていくのです。》


 「...と云えり」とあるのを見逃しがちだというのはその通りだと思いますが、《いわれなき尊卑感情を少しでもなくし》という見解は、どこの記述を基にしているのか分かりませんでした。

 『学問のすゝめ』には、《そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という》とか、《医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし》といった見解があります。また、《ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり》とか、《士農工商おのおのその分を尽くし》とか、《学問をするには分限を知ること肝要なり》といった言葉があります。

 ですから、《いわれなき尊卑感情を少しでもなくし》ということではなく、「職業に尊卑はあり、そこでは学問が重要」ということを主張しているのだと思うのですが、いかがでしょうか?


(3)90頁

《しかし公武合体派の背後には、十分に開明的で優秀な家臣や思想家が存在していたのですから、弱体化しつつある幕府に代わって主導権を握ることも不可能ではなかったはずです。しょせんは、派として結束できるだけの意思統一が育っていなかったのでしょう。こういうところにも、常に周りをうかがいながら空気に迎合してしまう日本人の、主体性のなさと伝統的な政治下手が表れていると感じるのは、筆者だけでしょうか。》


 ここの《常に周りをうかがいながら空気に迎合してしまう日本人の、主体性のなさと伝統的な政治下手》ということの意味が分かりませんでした。当時の日本人への評価のようですので、相対的にマシな国民が例えばどこで、そこのどういった国民性と比較して劣っていたと見なしているのでしょうか?

 明治維新の評価については、トルコのケマル・パシャなどとの対比がけっこう重要だと個人的に思っていたりしますが...。


(4)248~249頁

《福沢が、明治十七年までに経済について論じたものには、『民間経済録』(明治十年)、『通貨論[第一]』(明治十一年)、『民間経済録二編』(明治十三年)、『通貨論[第二]』(明治十五年)、『貧富論[第一]』(明治十七年)などがあります。これ以降、明治二十四年に至るまで、特に経済論らしきものを執筆していません。》


 本書では、松方デフレ期における福沢諭吉の経済思想には、考慮が払われていないという理解でよろしいでしょうか? 具体的に言うと、『時事新報』に連載した社説(の中の経済思想)は考慮されていないのでしょうか?

 また、282頁では《これまで福沢については、政治論、学問論が中心で、経済論はあまり注目されてきませんでした》とありますが、参考文献に藤原昭夫氏の『福沢諭吉の日本経済論』(日本経済評論社)が挙げられていないのは何か理由があるのでしょうか? この著作は、福沢諭吉の経済思想を考える上で必須の文献だと私には思えるので...。


(5)249頁

《総じて福沢の経済思想は、旧社会の儒教道徳に裏付けられた「節倹奨励主義」を打ち破って、「金は天下の回り物」という原則を貫いた斬新なものです。》


 失礼ながら、これは単に江戸期儒者の経済思想をきちんと読んでいないだけだと思われます。具体的には、熊沢蕃山『集義和書』荻生徂徠『政談』山田方谷『理財論』など。また、儒者ではないですが、石田梅岩『都鄙問答』佐藤信淵『経済要略』本居宣長『秘本玉くしげ』なども、単なる「節倹奨励主義」ではないという観点から重要だと思われます。


(6)269頁

《福沢はまず、通貨の本質について、それは単なる品物の「預り手形」(約束の証書)と同じであると言い切ります。これは最近、経済思想家の三橋貴明氏が強調している、「貨幣は借用証書あるいは債務と債権の記録」という本質規定とまったく同じです。また、その「預り手形」として金銀を用いようが、紙を用いようが、その機能において何ら変わるところがないとも言い切ります。こちらも、最近、同じく経済思想家の中野剛志氏が、貴金属に価値の本源があると錯覚してきた長きにわたる慣習(金属主義)が無意味であって、貨幣はただ価値を明示する印にすぎない(表券主義)と指摘した、その議論とぴったり一致しています。》


 福沢の『通貨論』の記述から判断するなら、金属主義を否定し、表券主義を指摘したと見ることは可能だと思います。しかし、《三橋貴明氏が強調している、「貨幣は借用証書あるいは債務と債権の記録」という本質規定》に福沢が達していたという見解は、かなり微妙なところだと思われます。

 三橋貴明氏の元ネタは、フェリックス・マーティン氏の『21世紀の貨幣論』でしょう。この著作のポイントは、マネーの本質を《交換の手段》ではなく、《通貨の根底にある信用と清算のメカニズム》としてとらえたことです。

 藤原昭夫氏が指摘しているように、《『通貨論』において、福沢は貨幣の本質を、もっぱら「行盃人」のごとく商品交換を媒介して歩く流通手段たる点に求めた》ように思えます。そのため、《債権と債務の記録》というレベルに達しているとは見なせないと思われますが、いかがでしょうか?

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